「中島青磁」と古里愛 田代 芳樹

西日本新聞

 偉大な陶芸作家でありながら、話し好きで人懐っこい。昨年3月に76歳で亡くなった青磁の人間国宝、中島宏さんのことだ。人間的にも魅力にあふれていた。あの笑顔が今もくっきりと目に浮かぶ。

 中島さんは古里の佐賀県武雄市西川登町に窯を構え、独創的な色合いの「中島ブルー」と称される作品を数多く制作した。武雄に勤務していた頃、何度か中島さんの自宅に足を運んだ。中でも印象深かったのは2007年、人間国宝に選ばれた時だった。

 自宅横に築いた登り窯。その傍らには、思うように焼き上げられなかった作品を破棄した無数の陶片が、うずたかく積まれていた。築かれた山は「物原(ものはら)」と呼ばれる。

 取材に応じたのが「誰にも見せたことがなかった」というこの場所だった。中島さんでも、こんなに失敗するのかと驚いた。同時に、試行錯誤を繰り返して青磁の技を極めたその神髄を見た気がした。

 物原を「俺の宝の山」と呼び、「もっと良い仕事をしなさいという励まし。これまで以上に良い作品を作らんといかん」。真剣な表情で語った姿が鮮明によみがえる。

 この「宝の山」という言葉には、別の思いも込められていた。青磁との出合いが、幼い頃に父と訪ねた古窯跡の物原で見た陶片だったからだ。青の美しさに一瞬で心を奪われたという。まさに「宝」との邂逅(かいこう)だった。

 「お前は手先が器用だ。家業を手伝え」。父のひと言で中学を卒業後、家業の製陶所で絵付けや釉薬(ゆうやく)の調合など基礎的な作業を担った。

 仕事の合間を縫い、鉄の変化など陶芸に必要な化学の知識を独学で学んだ。28歳で独立し、本格的に青磁の作陶に取り組む。常に意識したのは武雄の豊かな自然だ。

 自身の作風を「ここの風土が育ててくれた」と語り、「木々の緑を毎日見ていると一つとして同じ色はない」。窯を囲むように広がる青々とした竹林はその象徴だ。

 古里への思い入れは作陶にとどまらない。武雄の古い焼き物が「唐津焼」の一種とみなされることに異を唱えた。

 作品群を積極的に収集し、独自のデザインを持った「古武雄」と名付け新しい魅力を発信し続けた。「武雄で作られた陶磁器は素晴らしい物ばかり。古武雄として認知されるべきだ」。口調は熱を帯びていた。今では「古武雄」という言葉も浸透しつつある。

 佐賀県立美術館(佐賀市)で、5月6日まで追悼展が開かれている。「青の美」を無限に追究した足跡を、いま一度、この目に焼き付けたい。

 (デジタル編集チーム)

=2019/04/19付 西日本新聞朝刊=