憲法論議、野党にも配慮 「学究肌の政治家」惜しむ声 保岡氏死去

西日本新聞

 19日死去した保岡興治元法相は、与野党の立場の違いに配慮しながら国会の憲法論議を前進させた「憲法族」の重鎮だった。その見識と実績をしのぶ声は与野党を超え、かつての「保徳戦争」を知る地元・鹿児島の政界関係者にも「学究肌の政治家だった」と惜しむ声が広がった。

 判事出身で法相を2度務めた保岡氏は、自民党の憲法改正論議で長く中心的役割を果たした。党内で緊急事態条項の導入などを主張する一方で、衆院憲法調査特別委員会では与党理事として超党派の理解促進を重視。改憲手続きを定めた2007年の国民投票法成立につなげた。

 当時、委員会メンバーだった自民党の中谷元・元防衛相は「なぜそこまで野党に配慮するのかと思ったこともあったが、粘り強くやるのが保岡流。万機公論に決すべし、を貫かれた」。野党の中心メンバーだった立憲民主党の辻元清美国対委員長は「憲法改正の賛否の立場を超えて議論ができた。先輩として非常に尊敬してきた」と惜しんだ。

 当選同期の山崎拓元自民党副総裁は20日、コメントを発表。法科大学院制度の導入など司法制度改革の功績などを振り返り「彼は終生、法曹出身の政治家としての光彩があった」とたたえた。

 保岡氏の元秘書で自民党の金子万寿夫氏(衆院鹿児島2区)は3月、保岡氏と昼食を共にした。奄美文化の継承の重要性を説いた保岡氏は、最後に改憲論議に触れ「みんなが納得して前に進める形をつくることが大事だ」と力説していたという。

 地元政界には中選挙区時代、奄美を舞台にした徳田虎雄氏との「保徳戦争」の記憶が残るが、金子氏は「保岡先生は学究肌で、政策で動く政治家だった」。同じく保岡氏の元秘書で自民党鹿児島県連の永井章義幹事長も「奄美が一つになるようにとの熱い情熱があった。そうなっている形を大切に受け継ぎたい」と語った。

=2019/04/21付 西日本新聞朝刊=