西武ライオンズの先祖に“幻の球団歌” 1950年に1シーズンだけ存在「西鉄クリッパース」

西日本新聞

平和台球場で練習する西鉄クリッパースの選手たち 拡大

平和台球場で練習する西鉄クリッパースの選手たち

東京・渋谷にある古賀政男音楽博物館。「西鉄野球団歌」をはじめ「古賀メロディー」が聴けるコーナーもある

 「福岡を本拠地とした初のプロ野球球団、西鉄クリッパースに球団歌があったことをご存じですか?」。NPO法人西鉄ライオンズ研究会理事の松永一成さん(55)=佐賀市=から特命取材班に調査依頼が寄せられた。クリッパースは西鉄ライオンズの前身で、埼玉西武ライオンズのルーツでもある。ちょうど70年前に設立され、1年だけ存在した球団だ。「20年来探しているんですが、歌詞もメロディーも分かりません。ぜひ聴きたいです」。松永さんの願いをかなえるべく、“幻の球団歌”を追った。

 松永さんは、ライオンズの歴史を語り継ぐ同研究会の活動中、球団歌の存在を知った。正式名称は「西鉄野球団歌」、作詞サトウハチロー、作曲は福岡県大川市出身の古賀政男だと突き止め、関係先に歌詞と楽譜の存在を聞いて回った。親会社の西鉄、古賀政男記念館(大川市)、サトウハチロー記念館(岩手県北上市)、レコード会社。「古書店で当時の野球雑誌も買い集めたが、手掛かりはありません」。3度の日本一を誇る西鉄ライオンズと比べると、クリッパースは情報自体が少なく、影が薄い。

 西鉄の「百年史」には、確かに「サトウハチロー作詞、古賀政男作曲による『西鉄クリッパースの歌』も定めた」とある。西鉄にあらためて尋ねたが「資料は残っていません」。

 本紙の過去の記事を検索し、図書館で関係書を探したが成果はゼロ。70年前、1949年といえば日本は米占領下で、国鉄に絡んだ下山事件や三鷹事件が起き、中華人民共和国が建国した年だ。歴史の中に埋もれたのか、と断念しかけたが、古賀政男記念館が「東京の古賀政男音楽博物館に尋ねてみては」と助言をくれた。古賀関連の資料を多数収めている同博物館へ祈るように電話すると、「残ってますよ。直筆の楽譜と、サトウ氏直筆の歌詞も。再録ですが音源もあります」とあっさり教えてくれた。

 東京へ飛んだ。古賀邸があった渋谷区上原の同博物館で、主任学芸員の宮本紘視さんが楽譜を見せてくれた。譜面の最上部には「西鉄野球団歌」の文字がある。「野球好きで、『ホームラン・ソング』という曲も作った古賀ですが、プロ野球の球団歌はこの1曲のみのようです」と宮本さんは説明する。「地元球団の誕生に喜んで曲を書いたのではないでしょうか」

 原稿用紙に書かれた歌詞にも目を通す。3番まである。「理想の球団 西より起てり」と新チームの誕生をアピールし、「新風 西鉄快速艇(クリッパース)」と歌い上げる。筑紫野や有明海、阿蘇の地名も織り込まれ、クリッパースが九州の球団であることを印象づける。「太宰府の梅が香(か)」の一文もあり、新元号「令和」の典拠となった「万葉集」の「梅花の歌」を思わせて興味深い。バットもボールも出てこないが、「練磨重ねて」「雄々しき微笑」「高邁(こうまい)進取」「精神一路」など漢語調の言葉が、鍛え抜かれた野球選手をイメージさせる。

 館内の試聴コーナーで「西鉄野球団歌」を聴くことができた。97年に同博物館が開館したとき、レコードやCDになっていない曲も新たに録音し、代表的な作品と一緒に公開した。「西鉄-」もその中の1曲。「ただ知名度はなく、ほとんど再生されることはありません」と宮本さん。

 再生ボタンを押すと、哀愁に満ちた「古賀メロディー」とは違う、勇ましい旋律が流れだした。格調すら漂い、陽気に歌う現代の球団歌とは趣が異なる。終戦間もない福岡で地元球団の誕生を喜び、耳を傾ける人たちの姿を思い浮かべた。

 福岡に戻り、松永さんに報告した。「邪馬台国の場所が分かったような発見です。福岡のプロ野球のルーツを語り継ぐ材料にしたい」と松永さんは興奮気味に喜んだ。同時に、追加の“宿題”も出した。「ところで、西日本新聞社が親会社だった西日本パイレーツ。球団歌って、ありましたっけ?」


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【ワードBOX】西鉄クリッパース

 プロ野球が2リーグに分裂した1949年に誕生し、パ・リーグに加盟した。ニックネームは、当時西鉄が代理店を務めたパンアメリカン航空の機体の愛称に由来する。本拠地は福岡市。50年シーズンは7球団中5位。同じ福岡市を本拠地としたセ・リーグの西日本パイレーツと合併し、51年に西鉄ライオンズとなった。

=2019/04/23付 西日本新聞朝刊=

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