【次代へ】被爆継承14歳の最年少語り部 惨禍わが身に重ねて

西日本新聞

被爆者から聞き取った被爆体験を語る松山咲さん=3月23日、長崎原爆資料館 拡大

被爆者から聞き取った被爆体験を語る松山咲さん=3月23日、長崎原爆資料館

長崎原爆資料館で被爆の実態について語る松山咲さん

 「核兵器なき世界」-。被爆地ナガサキの悲願は、令和の時代に持ち越されようとしている。今春、長崎県諫早市の喜々津中3年、松山咲さん(14)は、高齢になった被爆者に代わり被爆体験を語り継ぐ「交流証言者」になった。長崎市が2014年度から公募し、活動している証言者32人の中で最年少。直接聞き取ったあの日の惨禍、家族や友人を一瞬で失った悲しみを自分に置き換え、伝える。語り部として次代につなぐ「重み」をかみしめながら。

 松山さんは中1の春、被爆体験を継承したい思いがあっても、高齢で無理が利かない被爆者がいて、「証言者」を募集していることをニュースで知った。小学校の平和学習で被爆者の声を聞く機会はあった。普段、強く意識することはなくても「平和の大切さ」は心に残っていた。

 母親(42)に調べてもらうと、被爆2世や3世でなくても「証言者」になれると分かった。公募に手を挙げ、証言者候補と被爆者とのグループ面談で出会ったのが池田道明さん(80)=同県長与町=だった。

 《池田さんは6歳で、爆心地から約700メートルの病院で被爆。中庭には無数の遺体があった。生きているのは、直前まで屋上で一緒に遊んでいたシゲちゃんが、エレベーターで「下に降りよう」と声を掛けてくれたから。扉が開いた瞬間に閃光(せんこう)を感じ、気を失ったが、熱線を浴びずに助かった。核兵器廃絶を祈念すると同時に、「命の恩人」で孤児となり行方知れずのシゲちゃんを捜し続けている》

 松山さんは、池田さんの体験を自分に重ねてみて考えた。「戦争で家族や友人を失った人が大勢いる」「もし、仲の良い友達がいなくなったら…」。核兵器の怖さを感じられた。「被爆者のいない時代は確実に近づいている」ことも学び、被爆体験を若い世代が継承する意義を再確認した。

 証言原稿は1年半かかって仕上げた。原稿用紙で20枚。池田さんとは5、6回ほど面談。「思いを伝えたい」から毎回約2時間、じっくり話を聞いた。

 3月、長崎原爆資料館(長崎市)で初めて証言者として約50人の来館者の前に立った。池田さんになりきり、被爆体験を伝え、こう呼び掛けた。「平和の輪を長崎から全国へ、日本から世界につなげなければなりません」

 次の証言の機会では「もっと一人一人の心に響くように伝えたい」。次代の証言者として決意を新たにしている。

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交流証言者 被爆体験の次世代への継承を目的に、長崎市が2014年度から育成に着手。被爆者から被爆体験を聞き取り、修学旅行生などを対象に紙芝居やスライドなども活用して「語り部」として活動している。当初は被爆2世と3世に限っていたが、16年度からは対象者を広げて公募。71人(14~77歳、研修中を含む)が登録している。厚生労働省は18年度から証言者を全国に無料で派遣する事業を始め、活動の場が広がっている。

=2019/04/24付 西日本新聞朝刊=