平和台を創った男 岡部平太伝 第3部(1)米国留学 「ジャップ」に怒り心頭

西日本新聞 ふくおか都市圏版

アメリカンフットボールで活躍した岡部平太のプレー姿 拡大

アメリカンフットボールで活躍した岡部平太のプレー姿

シカゴ大正面の校門。岡部が留学していた当時の原型を今も残している

 人生の伴侶を残し、単身渡米した岡部平太は1917(大正6)年夏、26歳でイリノイ州のシカゴ大に入学した。真っ先に向かったのは、キャンパス内のスポーツ施設「スタッグ・フィールド」。日本では見たこともない5万人収容のスタンドと広大なグラウンド、体育館があった。

 そこで岡部は奇妙な光景を目にする。耳まで隠れた革の帽子と分厚い上着を着た選手が、楕(だ)円形のボールを手に練習していた。

 「これが有名な米国学生フットボールだな」

 アメリカンフットボールとの出合いだった。岡部はすぐ入部し、ルールも覚えないうちに、初日から1年生チームの実戦練習に参加。どんなに巨漢だろうが、自分の前にいる選手に次々にタックルし、柔道の大外刈りで倒してしまった。

 当時の大学新聞には、コーチのパット・ペイジが「ボールを持った相手を倒せ」と声を掛けると、岡部は「俺は全員を倒す」と言ったと書いてある。ペイジはこの2年前、野球部のコーチとして、早稲田大との交流戦で訪日。滞在中、指導に訪れた東京高等師範学校で岡部と出会っていたが、その闘争心には驚いたという。

 “衝撃的”なデビューを飾った岡部はその後、「エンド」と呼ばれるレシーバーとしてクラブチームでも活躍。地元紙のシカゴトリビューンに「東洋人で初めてフットボールをした選手」として紹介されている。

 だが、そうなる前の話。入部して数日後の練習中に、ある事件が起きていた。

 「ジャップ、ゴー・オン!(前へ行け)」

 「ジャップ、ゴー・アヘッド!(真っすぐ行け)」

 大声で指示を飛ばしたのは、ヘッドコーチのエイモス・アロンゾ・スタッグだった。

 「ジャップ」が、日本人の蔑称として使われる言葉だということを岡部は知っていた。「こんな侮辱は許さん」。頭に血が上った岡部はボールを投げ捨て、その場を立ち去った。

 大学を辞めようと考えた岡部は、キャンパス内の公園に寝そべっていた。すると、スタッグが自転車を押しながら近づいてきた。

 「さっきはすまなかった。君の名前が読めなくて、つい…」

 差別する意図はなかったと率直に謝るスタッグの話を聞いているうちに、岡部の怒りはうそのように静まっていった。

=文中、写真とも敬称略

※小説「Peace Hill 天狗と呼ばれた男 岡部平太物語(上)」(著者・橘京平、幻冬舎刊、1,200円)が好評発売中

=2019/04/24付 西日本新聞朝刊=