平和台を創った男 岡部平太伝 第3部(2)生涯の師 出会いが人生を変えた

西日本新聞 ふくおか都市圏版

岡部平太がアメリカンフットボールで活躍した会場のスタッグ・フィールド。当時は5万人収容のスタジアムだった 拡大

岡部平太がアメリカンフットボールで活躍した会場のスタッグ・フィールド。当時は5万人収容のスタジアムだった

岡部が生涯の師と仰ぐスタッグの胸像は今もシカゴ大に展示されている

 スタッグと話しているうちに、岡部平太はその人柄に引き付けられていった。この時、スタッグは55歳。父と息子ほどの年齢差があったが、少しも偉ぶったところがない。外国人の自分に頭を下げる率直さに感じ入ってしまった。

 「スポーツを勉強したいなら、わが家の書庫に来るといい」

 スタッグから勧められ、岡部は自宅に通い続けた。大学の図書館よりはるかに多くの書籍があり、むさぼり読んだという。米国でも初めての「体育学」教授としてシカゴ大に迎えられたスタッグ。その知識を岡部は受け継いだのだった。

 スタッグはスコットランド系移民の貧しい家庭で育ち、清教徒だった。進学したエール大神学部では、アメリカンフットボールでオールアメリカンに選出。野球の投手としても活躍し、メジャーの球団から当時の最高年俸で勧誘を受けるが、断っている。

 その理由を尋ねた岡部に、スタッグはこう答えた。

 「プロは否定しないが、学生が人生の出発点において安易な方法で多額の金銭を受けるのは、必ずしも生涯の幸福とは限らない」

 スタッグは96歳までグラウンドに立って学生を指導し、102歳で生涯を閉じた。多くの戦術を考案し、学生リーグで314勝。アマチュアスポーツに人生をささげた「コーチの先駆け」だった。

 岡部はスタッグからスポーツとは何かを学ぶ。「定められたルールの下で、フェアに戦って勝つ」「そのために、何をすべきかを追求する」-それがあってこそ、人はスポーツを通じて成長するのだと。

 岡部はシカゴを離れてからも、スタッグと文通している。シカゴ大には、その100年前の手紙が保存されていた。コーチを目指す岡部に、スタッグはその資格についてこう記している。

 「スポーツの知識と愛情がコーチの良否を決める。他の動機でやるものは大成しない」「高潔で正しい心、深い正義感を持ち、策謀を拒否し、正直に物事を判断し、私情の恨みを持たない、紳士的で、ただ勝利のために一途に高い精神的態度で進む」

 スタッグは、身長164センチの岡部とほぼ同じ体格。妻子とも親しくなった岡部に、自分が使っていた帽子や靴を贈っている。晩年、岡部は大事な席があると必ず「これはスタッグ先生にもらったものだ」と身に着けていたという。

 岡部は米国留学で「生涯の師」と出会ったのだった。

=文中、写真とも敬称略

※小説「Peace Hill 天狗と呼ばれた男 岡部平太物語(上)」(著者・橘京平、幻冬舎刊、1,200円)が好評発売中

=2019/04/25付 西日本新聞朝刊=