【次代へ】父、若き陛下にボール渡す 子、皇太子さまは「ご学友」

西日本新聞

 近づく天皇陛下の退位を前に、兵庫県伊丹市でインド料理店を経営する豊田泰由(やすゆき)さん(59)は父のことを思う。プロ野球、西鉄ライオンズの中心打者、豊田泰光さん=2016年に81歳で死去=だ。皇太子時代の陛下に日本シリーズの記念ボールを手渡した話を何度も聞かされた。そして新天皇に即位される皇太子さまは、泰由さんにとって学習院初等科での日々を共にした「ご学友」でもある。時代の節目に、父と子と皇室との不思議な縁を感じずにはいられない。

 「こんな緊張した父の顔は見たことがありません」。長男の泰由さんはそう言って写真を見せてくれた。白球を握った皇太子時代の陛下と、笑顔をつくろうとしてうまくいかなかった泰光さんが並んで立っている。

 1956年の日本シリーズで泰光さんは最優秀選手(MVP)に輝き、西鉄初の日本一に貢献した。シーズンオフ、球界屈指の強打者から皇太子さまへ記念のボールを渡す話が持ち上がった。その日、泰光さんは父に言われるままに水風呂で身を清め、母に赤飯を炊いてもらって送り出され、神奈川県葉山町の葉山御用邸近くで“大役”を果たしたという。

 「『こんなに光栄なことはない』と繰り返していました」。泰由さんが振り返る。自慢話をあまりしない父だから印象に残っている。賞状やトロフィー、野球用具は惜しみなく人にあげていた泰光さんだったが、この写真は「家宝」のように大切にしていた。「だから父の葬儀で、大きく伸ばして会場に飾りました」

   ◇    ◇

 泰由さんの中で、学習院初等科時代の皇太子さまは「とても辛抱強い方」だった。夏に海で遠泳大会が開かれた。「最長の4キロコースを泳がれていました。懸命な姿を思い出します」

 野球少年の印象もある。東宮御所に集まって級友たちと野球をしたとき、「皇太子さまは巨人のユニホーム姿。私は父がいたサンケイアトムズのユニホームでしたが、大変興味深げに見ておられました」。男の子が野球に明け暮れていた時代だった。「みんな真っ黒になってボールを追いかけていました」。そんな日々を振り返り、泰由さんは一つの願いを語る。「即位後にプロ野球を見に来られるよう望んでいます」

 天皇陛下が即位された89年1月、泰光さんは「野球場に足を運んでいただきたい」と語っていた。しかし平成年間、プロ野球の天覧試合はなかった。「開かれた皇室を築かれる方です。その一こまとして令和の天覧試合を実現していただけたら」。写真の中で硬い笑みの泰光さんを見ながら、泰由さんは語る。「家宝」を受け継ぐとともに、父の思いも引き継いでいる。

=2019/04/27付 西日本新聞朝刊=

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