平成から令和へ 「縮小社会」への軟着陸を

西日本新聞

 「平成」が今日、幕を下ろす。天皇陛下が退位され、元号は明日から「令和」に改まる。

 30年余の平成は、どのような時代だったのか。激動の昭和史を併せて顧みれば「戦争がなかった平和な時代」と言えよう。

 だが、多くの人が犠牲になる大災害が相次いだ。阪神大震災、東日本大震災と福島原発事故。九州でも雲仙・普賢岳噴火や福岡沖地震、熊本地震などが起きた。台風や豪雨災害も深い爪痕を残した。

 人の営みはどうか。バブル景気の絶頂期に始まった平成。うなぎ上りの株価や地価に浮かれているうち、膨らみきった泡はあっけなくはじけた。不良債権を抱えた金融機関が倒れ、多くの企業が経営難に陥った。米国発の世界同時不況が追い打ちを掛け、日本は「失われた20年」という長い不況のトンネルの中であえいだ。

 ●立ちすくんだ30年

 〈楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう〉

 近代国家を目指し日露戦争に突き進む明治日本を描いた「坂の上の雲」で、作者の司馬遼太郎さんは当時の高揚感をこう表現した。高度成長期を経てバブル景気に狂奔した昭和の日本の姿に重なる。

 「坂の上の雲」を追い求めた明治、大正。アジアの盟主を自負した軍事国家がたどり着いた頂は、無残な敗戦だった。その焼け跡から再び、懸命に坂を駆け上った昭和。猛烈に働き、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と胸を張った経済の頂でつかんだのは、はかないバブルの雲だった。

 「右肩上がり」神話の終焉(しゅうえん)。昨日より今日、今日より明日、暮らしはもっと良くなるという、庶民のよりどころは失われた。再びころがり落ちた坂の下から、目指すべき雲を求めてもがき続けた。平成はそんな時代ではなかったか。

 自信を失って立ちすくむ日本を尻目に世界は大きく動いた。

 平成が始まった年、ベルリンの壁が崩れた。東西冷戦の終結で高まった平和への期待を、米中枢同時テロが打ち砕いた。テロの脅威が増す中で、民族、宗教間の対立は深まり、移民や難民を排斥する「不寛容」が世界を覆った。

 欧州が一つの経済圏となり、中国は米国と肩を並べる世界経済の主役に躍り出た。インターネットやIT分野では新興の巨大企業が生まれた。この間、日本はどうだったか。企業の時価総額ランキングを見るとよく分かる。平成元年、世界の上位50社のうち日本企業は32社を占めた。平成30年は35位にトヨタ自動車1社だけである。

 ●減り続ける働き手

 視点を国内に戻せば、平成はかつて経験したことのない社会への入り口だったことに気付く。

 日本の人口は2008(平成20)年をピークに減り続けている。「縮小社会」の到来である。人口増加と経済成長を前提とした国家の枠組みが根底から崩れた。

 少子高齢化は労働の担い手となる「生産年齢人口」の減少を意味する。人手不足はもう始まっている。一方、政府は不況対策として財政出動に過度に依存し、国と地方の借金は1100兆円を超えた。今後、増え続ける医療や介護、年金の財源はどうするのか。

 目先の選挙や政権維持に税金を大盤振る舞いし、付けを先送りする政治のありさまを目の当たりにすれば、若者に「将来に希望を持て」と言う方が無理ではないか。

 人口減や高齢化は九州など地方にとってより深刻だ。消滅が危ぶまれる「限界集落」も各地で現実味を増す。政府は「地方創生」の看板を掲げるが、地方経済は停滞し、若者が大都市に流出する状況に歯止めはかからない。地方自治や分権の在り方を抜本的に改めない限り、「東京栄えて国滅ぶ」という不幸な未来図が浮かぶ。

 光明がないわけではない。例えば、訪日外国人が大幅に増えた観光政策と外国人労働者の受け入れに踏み込んだ、二つの「開国」だ。外の力を国の活力にどう結び付けるか、これからが正念場だ。

 拡大社会から縮小社会への軟着陸はいや応なしである。女性が出産や育児と仕事を両立できる環境を整え、元気な高齢者の力も借りなければなるまい。私たちの暮らし方や働き方、社会の在り方そのものを大きく変える時だ。

 平成の大人は子や孫に重い付けを残した「楽天家」-。後世、そう指弾されないよう、見上げる令和の空に確かな将来の道しるべとなる変革の雲を見いだしたい。

=2019/04/30付 西日本新聞朝刊=

PR

社説 アクセスランキング

PR

注目のテーマ