「平和な令和」祈る 平成最後の日の被爆地・長崎

西日本新聞

 平成から令和へ。平成最後の日となった30日、長崎市の長崎原爆資料館などには「被爆の実相に触れたい」と考えた多くの人の姿があった。戦争の悲惨さを物語る写真や遺品を見て涙を流す女性も。被爆地ナガサキで感じた思いは-。

 神奈川県大和市の会社員庄司まなみさん(23)は観光のため来県し、初めて原爆資料館に足を運んだ。「戦争がない時代が普通」と思ってきたが、世界では紛争やテロが絶えない現状がある。「自分たちが良ければ…」という利己的な思想が根底にあるのではないか、と改めて考えたという。「被爆地の悲惨さを知れば、戦争はやってはいけないと再確認できる。多くの人が歴史に関心を持つことが、まずは大事だと思う」

 原爆落下中心地碑の前では、千葉県習志野市の会社員宇津木洋祐さん(36)と道子さん(40)の夫婦が手を合わせていた。2人は「被爆者が高齢化し、直接話を聞く機会はなくなっていく。核兵器廃絶に向け、被爆地から国内外により強いメッセージを発信していく必要がある」と語った。

 平成は、核保有国と非核保有国の対立が深まった時代でもあった。3歳で被爆した長崎市内の70代男性は、爆心地公園で朝鮮半島の非核化が見通せないことに言及。「原爆は広島と長崎に投下されたが、どこに落とされてもおかしくなかった。戦争は起こりうるという危機感を今後も持ち続けなければならない」と語り、令和が平和な時代となることを強く望んだ。

■「被災者に寄り添う気持ちが伝わった」 元島原市長・鐘ケ江さん 両陛下の訪問振り返る

 雲仙・普賢岳災害の被災者慰問で1991年7月に島原市を訪れた天皇、皇后両陛下を市長として迎えた鐘ケ江管一さん(88)は30日、西日本新聞の取材に応じた。両陛下がひざまずいて被災者に声を掛ける光景に「自然に取られたお姿から、被災者に寄り添う気持ちが伝わってきた」と振り返り、「『なぜ私たちだけがこんな目に』と絶望していた避難所の空気ががらっと変わり、生きる希望を与えていただいた」と語った。

 普賢岳は即位翌年の1990年から噴火。慰問は91年6月3日の大火砕流発生の翌月だった。鐘ケ江さんは「どれだけの国民が両陛下に勇気づけられたことか。ゆっくりご静養され、健康で長生きしていただきたい」と話した。

=2019/05/01付 西日本新聞朝刊=

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