令和の幕開け 弱き者に寄り添う時代に

西日本新聞

 5月の薫風が新しい時代を運んできた。皇太子さまがきょう、新天皇として即位され、新しい元号「令和」が始まった。

 「令和」はおおむね、好感を持って国民に受け止められているようだ。この2文字には「人々が美しく心寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と安倍晋三首相は述べた。

 その通りなら、まことに結構である。だが、今の日本社会を見回せば、素直にうなずけない。「良い」という意味で用いたという「令」は「命令」「巧言令色」、世代によっては「召集令状」を思い浮かべるという人も少なくない。

 ●「たが」が外れた

 「令和」の考案者とされる国文学者の中西進さんは、「令」は「麗(うるわ)しい」という意味だ、と説明する。麗しいは「整っている美しさ」。その整っている状態を次の時代の目標とするのは、今が「野放図な時代だから」と言う。

 野放図は、放っておけばどこまで脱線するか分からない様子だ。

 30年に及ぶ平成の間に「たが」が外れて脱線してしまったものを整え、調和のある姿につくり直す-。それが令和の時代に私たちがなすべきことではないだろうか。

 野放図に膨らんだバブル経済がはじけ、長い不況にあえいだ日本は、国と地方の借金もまた、野放図に積み上がっている。

 「忖度(そんたく)」という言葉が飛び交った政官界の「たが」も外れてはいまいか。森友、加計(かけ)学園を巡る疑惑の真相はやぶの中だ。防衛省の日報隠し、財務省による文書の隠蔽(いんぺい)や偽造、経済政策の基となる統計データの不正…。出世か保身か、権力者の歓心を買うためか。

 政権幹部からも、震災被災者の心を傷つけたり、女性や少数者の人権を軽んじたりする発言が相次ぐ。大事故を起こした原発も、国民の理解を得ないまま、経済界の意向に沿って再稼働を急ぐ。大震災の反省や教訓を忘れ、時計の針を巻き戻そうとするかのようだ。

 都合の悪いことは隠し、ごまかし、うわべを取り繕って言い逃れ、最後はうやむやにする悪弊が永田町や霞が関にはびこっている。

 1強長期政権の慢心と緩みは、政治に対する国民の信頼を大きく損ねた。国民の代表である政治家や公僕たる官僚の「たが」はしっかりとはめ直さねばならない。

 たとえ政治が劣化しようと、昭和から平成、そして令和へと引き継がねばならないものがある。

 先の大戦の悔恨と反省から生まれた不戦国家の理念と、そのよりどころである平和憲法だ。

 安倍政権は、歴代内閣が堅守してきた憲法の解釈を変更して集団的自衛権の行使と自衛隊の海外派遣に道を開いた。平和憲法の根幹を、国民的論議も選挙の審判も経ず一内閣の独断で変えてしまうやり方は、野放図ではあるまいか。

 私たちの周りでも「ゆがみ」や「格差」が顕在化した。

 ●格差に目を背けず

 インターネットや会員制交流サイト(SNS)の普及で、誰もが意見を発信できる便利な世の中になった。一方で、真偽ない交ぜの情報が飛び交う。偏向した意見や虚偽の情報にあおられた「ヘイトスピーチ」が憎しみや怒りを増幅させ、社会を分断している。

 終身雇用、年功序列というかつての働き方は崩れ、非正規雇用が常態化した。「女性活躍」の掛け声とは裏腹に、女性の賃金は低く、出産や育児と仕事を両立できる環境整備は進まない。子どもや高齢者の貧困も見過ごせない。「経済的格差」は広がるばかりだ。

 ひきこもりやいじめが深刻な社会問題になった。性的少数者(LGBT)の権利も守りたい。世間から孤立し、基本的な人権がないがしろにされる「社会的格差」からも目を背けてはなるまい。

 「巧言令色」のきれい事ではなく、真に「人々が心寄せ合う」社会をどう築くか-。思いを巡らせれば浮かぶ光景がある。被災地に足を運び、膝を折って被災者に語り掛けられる前天皇陛下の姿だ。

 新陛下は、皇太子当時の記者会見で、平成を「価値観が多様化した時代」とし、「今後は、この多様性をおのおのが寛容の精神を持って受け入れることが大切」と述べられた。国家と国民の安寧を祈り続けられた前陛下の意志を受け継ぎ、新時代にふさわしい象徴天皇の道を模索されることだろう。

 自然災害が相次ぎ、人口減少、超高齢社会という困難に直面する日本にとって必要なのは、格差を生み出す強者の論理ではなく、弱い者やつらい立場にいる人に寄り添い、多様な生き方を受け入れる寛容さだ。それこそが令和の「整った美しさ」ではないだろうか。

=2019/05/01付 西日本新聞朝刊=

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