【次代へ 令和元年】揺らぐ介護支えるのは誰 財政難、「在宅」重視に影

西日本新聞

認知症の母(右)に、「今日は何日?」「デイサービスはいつ?」と尋ねる女性。母は時折、日付を思い出せなかった 拡大

認知症の母(右)に、「今日は何日?」「デイサービスはいつ?」と尋ねる女性。母は時折、日付を思い出せなかった

軽費老人ホームで担当職員と話す真名子勝弘さん(左)。郵便局員に助けられるまで、食事は砂糖水だけだった

 福岡県中部の市で母(75)と暮らす女性(52)は毎朝、勤務先のデイサービスへ車を走らせる。職場は隣の市だが、運転は約5分。時に思う。「うちのデイに母が通えたらいいのに」

 母は認知症で要介護1。転倒が増え、昨年は肩を骨折した。人工ぼうこうを着けており、入院を断られることも。目が行き届く少人数のデイサービスを探したが、自宅近くで望みに合うのは一つだけだった。

 デイサービスは介護報酬減額で数が少なくなっている。さらに少人数の事業所は、介護保険制度の見直しで2016年度から、所在地の自治体の人しか利用できなくなった。女性の場合もこれに当たる。家から近くても母は通えない。

 やっと決まったデイサービスは母の肌に合わないという。望んだ入浴も職員に難色を示された。

 自由に事業者を選び、多様なサービスを使える「利用者本位」。家族の負担も介護離職も減らす-。制度の理念に、女性は「サービスも事業所も、自由に使えないですよね」と首をひねる。

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 昭和の時代、介護は主に家族や病院が担った。行政が個々人の福祉サービスの内容を決め、税金で賄う「措置制度」が運用されていた。家や施設といった閉ざされた中で運営されていた介護。平成に入ると、国は特別養護老人ホームなどの施設やデイサービス、訪問介護を急ピッチで整備。「病院から在宅へ」とかじを切る。

 そして、00(平成12)年に始まった介護保険制度。新制度は、担い手を「家族から社会へ」と掲げた。税と保険料を財源に、企業も含め多様なサービスを提供する制度が始まった。

 しかし、高齢化は世界でも類を見ない速さで進む。国の研究機関の推計では、高齢者世帯のうち1人暮らしの割合は40年、全国で40%に上る見通し。令和は、高齢者が1人で生きていくことに、社会が真剣に向き合う時代でもある。

 厳しさを増す保険財政と「想定外」の連続で形を変えていく介護保険制度。1割だった利用者負担は所得に応じ2、3割へ。保険料は全国平均で当初の2倍近い5千円台になった。介護の必要度が低い「要支援」の人向けのデイサービスと訪問介護は、介護保険から切り離されて市町村事業に移り、サービス水準に格差が生じた。国が重視したはずの在宅介護支援の基盤は、揺らいでいる。

 「介護保険は見込みと違う姿になった。不満が出ても仕方ない」。厚生労働省に勤務当時、制度設計に関わった全国生活協同組合連合会の千田透常務(62)は自戒を込める。

 国には、要支援より状態が重い「要介護1、2」の人の訪問介護も、一部サービスを介護保険から市町村に移す案がある。これも保険財政の圧迫からだ。

 千田さんは「軽度者にサービスをしっかり保険給付するから状態の悪化を防ぐことができる。本人にも家族にもいいことだし、結果的に保険財源の負担も減る。今の方向性は、介護予防の観点や国民の理解が抜けている」とくぎを刺す。

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 福岡県糸島市の軽費老人ホームで暮らす真名子勝弘さん(74)は1年半前まで、アパートで1人暮らしをしていた。滞納した家賃や光熱費の返済に年金を全て充て、困窮に陥った。生活保護は年金収入を理由に退けられた。数年前に転倒し、体の自由も利かない。砂糖水だけで半月ほどしのいでいたころ、偶然訪れた郵便局員に見つけられ、ホームや市社会福祉協議会の支援で今の生活にたどり着いた。「郵便局の人が来んかったら、のたれ死んどったよ」

 65歳以上の高齢者は42年、総人口の3割半ばを超す3935万人となり、ピークに達する見通しだ。介護が必要な人や困窮する人の生活を、介護保険などの公的制度だけで支えるのは限界が来る。そのとき社会が、一人一人の市民がどんな役割をどこまで果たすのか。新時代も模索が続く。

=2019/05/03付 西日本新聞朝刊=