大伴旅人に寄せた共感 大阪大教授 飯倉洋一氏

西日本新聞

◆上田秋成と令和

 元号が「令和」になった。出典とされる『万葉集』巻五の「梅花歌三十二首」の序が注目されている。序の「初春令月、気淑風和」が、『文選(もんぜん)』所収の「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」を踏まえており、文章全体は王羲之(おうぎし)の「蘭亭序」に倣(なら)っていることも報道されており、出典が国書か漢籍かという議論も巻き起こっている。

 さて、「梅花歌三十二首」は、大伴旅人の任地大宰府で梅花を愛(め)でる宴に集まった人々の歌を録したもの。私は、旅人に強い関心を持っていた上田秋成(『雨月物語』の作者)が、序について何か述べていないか興味を持った。秋成の本領は国学者・歌人であり、晩年居住した京都では、正親町三条公則(おおぎまちさんじょうきんのり)という若い公家に『万葉集』の講義をしているくらいなのである。

 公則への講義ノートである『楢(なら)の杣(そま)』を見ると、やはり秋成はこの序の典拠として、「帰田賦」を引き、「蘭亭序」にも触れていた。ただしこれは秋成の手柄ではない。『楢の杣』より百年以上さかのぼる17世紀末に書かれた契沖の『万葉代匠記』に、既にその両方が指摘されていた。秋成は『万葉代匠記』を精読していた形跡がある。

 では江戸時代の人々はどのようにして『万葉集』を読んでいたのか。最近「令和」報道に乗じてか、大学図書館や歴史ある神社で、『万葉集』の「発見」や「公開」のニュースが流れたが、いずれも江戸時代の版本で、研究者的物言いをすれば「どこにでもある」本、実はニュースにするほどではない。江戸時代には『万葉集』のテキストはもちろん、注釈書もいくつも出版されていた。文庫本のように手軽に読める本こそなかったが、多くの知識人が書架に備えていたのである。なかでも『代匠記』は文献的実証主義に基づく詳細な注釈が現在でも高く評価されている。

 さて、秋成は梅が好きだった。生前自身の墓を紅梅の下に定め、春雨の中に咲く梅花を何十首も連詠した。桜にこだわった本居宣長と対照的である。秋成が旅人を好きなのは、自身が妻を亡くした時に、旅人の亡妻挽歌(ばんか)に深く感じたことも大きいが、中国から渡って間もない梅を愛する彼の心にも共鳴したからだろう。そこには中国文化を背景に『万葉集』を読むという、当時の知識人の和漢融和の教養が反映しているのではないか。

    ◇      ◇

 飯倉 洋一(いいくら・よういち)大阪大教授 1956年生まれ、大分県出身。九州大文学研究科博士後期課程中退。博士(文学)。山口大助教授などを経て現職。専門は日本近世文学。著書に「上田秋成 絆としての文芸」など。

=2019/05/05付 西日本新聞朝刊=

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ