バイクタクシー 首都写し 「現実逃避」が風景を変える バンコクの運転手、写真話題に

西日本新聞

バイクタクシー運転手のピチャイさん。毎日午前10時から約2~3時間の休憩時に写真を撮影する 拡大

バイクタクシー運転手のピチャイさん。毎日午前10時から約2~3時間の休憩時に写真を撮影する

建物の線と形に注目し、バンコクの街並みをアップで撮影するのがピチャイさんの特徴だ。加工は一切しないと言う (上)(下)ともにビルの上部を切り取って撮影。絵画のように見える バイクタクシーの待機場所には次々と客がやってくる。女性の多くは横座りで去っていく

 ●厳しい人生反映 「美」切り取る

 渋滞が深刻なタイの首都バンコクで庶民の足といえばバイクタクシー。支えるのは9万8千人の運転手たちだが、必ずしも恵まれた境遇とは言えない。その1人、運転手歴20年超のピチャイさん(43)は思わぬ形で注目の人となった。趣味で撮った首都の写真が会員制交流サイト(SNS)で話題となり、3月に初の個展を開いたのだ。写真の特徴は「現実逃避」。運転手から憧れの写真家へ-。バンコク流のサクセスストーリーを目指し、街を駆ける。
 (バンコク川合秀紀)

 35度を超える炎天下、ピチャイさんのヤマハのバイクが戻ってきた。休む間もなく次の客がやって来て、エンジンをかける。

 都心部パヤータイ通りの交差点近くがピチャイさんの待機場所だ。客は1日20~30人。基本的に休日はなく、月収はおよそ2万バーツ(約7万円)。子ども3人と妻を養う生活はぎりぎり。仕事の合間の2時間だけ、バイクタクシー運転手を示すオレンジ色のベストを脱いで撮影に向かう。

 写真との出合いは約10年前。なじみ客のデザイナーから古いフィルムカメラをもらった。写真の知識も撮影する時間も、現像のためのお金もなかった。それでもプロが撮った写真集を見るのが趣味になった。現実を忘れることができた。

 2年前。旧知の飲食店オーナーから店で開く写真展の手伝いを頼まれ、再び熱が高まった。「この空間こそ、自分が好きな場所だと気づいた」

 昨年4月、休憩中に撮ったバンコクの写真を自身のインスタグラムに投稿し始めると、すぐに外国人を中心に話題を呼んだ。フォロワーになった約4万8千人の多くが驚いた。雑然とした街並みからは程遠い作品だったからだ。

 さまざまな色や斜線、曲線を使って描いた幾何学的な抽象画。そんな印象さえ与える写真の全てが、バンコクの建物をアップで切り取って撮影したものだ。「例えば、汚いビルでも汚いと見ずに、美しい部分を切り取ってみる。現実をそのまま見ないんだ」

 その切り取り方は、幼少期からの厳しい毎日を生き抜いてきた人生を色濃く反映している。

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 出身はラオスと接するタイ最北部のパヤオ県。最貧地域の一つだ。

 8歳の時、父母に連れられ、弟、妹とバンコクに来た。父は路上でパイナップルを売ったがうまくいかず、酒に溺れた。スラム地区にあった家はけんかばかり。のどかで自然豊かな農村から一転、高層ビルが林立する混沌(こんとん)の大都会。友人もいない。孤独で貧しいピチャイ少年にとって「バンコクは最悪な街だった」。

 支えとなったのは、現実を離れて空想の世界に入ること。粗末で小さなおもちゃと同じ大きさになった自分を想像した。いろいろな場所を冒険する。ピンチになった自分を、そのおもちゃが救ってくれる-。

 中学卒業後、果物や書類の配達を始めた。高校には行かず、22歳の時に恋人との間に子どもを授かった。生活費を稼ぐためにバイクタクシーの運転手を始めて、20年が過ぎた。生活は厳しいが何とか家族を養える。でも生活費を稼ぐだけの現実に嫌気が差した。そして、写真に出合った。

 事故と隣り合わせ。ひどい渋滞と大気汚染。政治の混乱。改善しない貧富の差…。「厳しい現実は変わらないが、視点を変えれば、世界の見え方は変わる。現実逃避は必ずしもネガティブ(消極的)じゃなく、時には必要なんだ。写真を通じてそう伝えたい」

 個展では月収に近い値段で作品が売れ始めている。夢はプロの写真家。運転手も好きだが「いつでも戻ってこられる。写真は今しかできない」。自分に言い聞かせるように語る。

 ピチャイさんが客を乗せて待機場所を出た後、30年運転手を続ける先輩のプーミパワンさん(53)に、彼のことをどう思うか聞くと、満面の笑みだった。「あいつは自分の好きなことをやろうとしている。だからうれしいんだ。俺たちの分まで有名になって夢をかなえてほしい。運転手をやめたら寂しいけどな」

 ●競争激化、トラブル多発 配車アプリ続々 客奪われ 個人業者反発

 バンコクのバイクタクシーは激しい競争の波にさらされている。個人登録業者が中心だった業界に近年、国外の配車アプリ大手が進出。シンガポールが本社のグラブが躍進する一方、昨年4月には米国のウーバーが撤退した。今年3月にはインドネシアの大手ゴジェックも参入。既存の個人登録業者は客を奪われると反発し、運転手間でトラブルも相次いでいる。

 約3年前からグラブ所属のバイクタクシー運転手をしているウィッナイさん(28)が取材に応じた。待ち合わせに指定した場所のそばには、個人登録のバイクタクシー運転手たちの待機場所がある。少しおびえた様子でやって来た。

 「最近、配車アプリの運転手が襲撃される事件が多いんだよ。個人登録業者に比べて、自分たちは自由に営業ができるし、給与水準もかなり高いからね」

 昨年10月、グラブのバイクタクシー運転手がバンコクの路地で乗客を降ろした直後、個人登録の運転手から突然、殴られて負傷する事件があった。理由は不明だが、急拡大するグラブへの逆恨みとみられる。同様の事件はたびたび発生しており、昨年5月には個人登録業者の運転手約300人がグラブの業務停止を求めるデモを行った。

 配車アプリのサービスはスマホで誰でも利用でき、現在地と行き先を入力すれば、近くで待機する運転手が駆け付ける。配車アプリで働く運転手は数万人いるとも言われる。一方で、個人業者は営業エリアも事実上決められており、客を配車アプリに奪われている実態があるようだ。

 ウィッナイさんの月収は多いときで4万バーツ(約14万円)と大卒の初任給以上。個人登録業者に聞くと「高給稼ぎはいるが、1万バーツちょっとの月もある。不公平だ」とこぼす。こっそり配車アプリにも登録して収入を補う人も増えているという。ある運転手は「行政がきちんと配車サービスの競争条件を整えないから、俺たちにしわ寄せが来ている」と漏らした。

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 【ワードBOX】バイクタクシー

 バンコクの道路は碁盤の目ではなく魚の骨のように、幹線道路から「ソイ」と呼ばれる狭く長い路地が横に延びる構造。このため各所で渋滞がひどく、バイクタクシーは早く手軽に移動できる交通手段として庶民に普及している。

 現地では「モーターサイ」と呼ばれる。個人で営業するには行政への登録が必要で、オレンジ色のベストを着用。タイ運輸省によると、バンコクの個人登録業者は9万8千人に上る。

 個人登録の運転手が客待ちをする待機場所は決められていて、路地の入り口付近に点在している。料金は2キロまでは20~30バーツ(約70~約100円)が目安。日本では禁止の3人乗りやノーヘルメットも当たり前で、事故も少なくない。

=2019/05/06付 西日本新聞朝刊=

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