【次代へ 令和元年】平成大合併、細る旧村 職員3分の1、地元議員ゼロ 圏域化加速も 地域色守れるか

西日本新聞

 「がんばれ」「不屈のライオン」-。手描きのメッセージで埋め尽くされた緑、赤、黄色のカメルーン国旗には、うっすらとクモの巣がかかっていた。時代は平成から令和に移り変わろうとしていた。

 大分県日田市中津江村の地底博物館「鯛生金山」。施設の一角に飾られた国旗は、2002年のサッカーワールドカップ(W杯)で村をキャンプ地に選んだカメルーン代表のために村民が用意したものだ。林業のほか目立つ産業のない人口千人少々の村の誘致作戦は脚光を浴び、観光客が押し寄せた。だが…。「足元はね、合併話でグラグラしちょったんよ」。当時の村長坂本休(88)は国旗を見つめた。

 「合併しないと交付金が減りますよ」。時の総務相片山虎之助が坂本にささやいたのはW杯の熱気冷めやらぬ02年だった。バブル崩壊を経て人口減、超高齢社会に突入した平成の世。国は行政効率化で財政難に対峙(たいじ)すべく、合併特例債というアメをちらつかせ「大合併」を急いでいた。

 村の財政の硬直度を示す経常収支比率は100%を超えていた。「今思えば国の圧力だが他に選択肢がなかった」と坂本は「村消滅」の歩みを振り返る。

 05年に車で1時間近くかかる旧日田市に編入合併。「周辺部」となった郡部の役場は「振興局」になり、中津江では職員が40人から12人に減った。職員は家族ごと市中心部へ転出し地域から若者が消えた。現在の人口は約750人。高齢化率は5割を超え、観光客もW杯時からは半減した。

 今年4月の市議選では隣の旧上津江村を含め地元出身の候補はゼロになった。村議時代は80票あれば当選できたが市議の合格ラインは千票。村民全員の票を集めても届かず、議会の存在が遠い。「合併で大分県の行政効率化は進んだろうが、旧村は活力を失い、村人の声はかすんでしまった」。坂本は編入の印をついた右手を見つめた。

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 1999年に始まり、全国の市町村を10年余りでほぼ半減させた平成の大合併。政府は明治以降続いた中央集権型から地方分権型への転換を目指したが、顕在化したのは旧中津江村のような合併域内での格差、周辺部の衰退だった。

 そんな中で「合併をしない道」を進んだ自治体もある。熊本県産山村は2003年、村を揺るがす議論の末、行政サービス衰退への懸念から「自立」を選んだ。人口約1500人の村の財政状況は依然厳しいが、国から突きつけられた「合併しないと生き残れない」という予想は外れた。むしろ他と合併しなかったことで移住者をも引き寄せる豊かな自然と人間関係に根差した「産山ブランド」が生き残ったと考える村民は多い。

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 再び、日田市中津江村。地区中心部の施設に昨秋、合併で消えた「役場」の看板が掲げられた。自治会長や地元事業主らでスタートした自治組織「中津江むらづくり役場」の活動拠点だ。市から年800万円の交付金を受け、高齢者の見守りなど振興局では手が回らない業務を補完する。

 「以前の村役場は職員に消防団員が多く火事の一報が消防署でなく役場に入るほど頼られる存在やった」。むらづくり役場事務局長の永瀬英治(57)は合併の功罪に思いを巡らせる。住民の支えとなる新たな“役場”には月に約200人が顔を出すが、具体的な取り組みはこれからだ。

 2040年には高齢者人口がピークを迎え、全国自治体の半数が存続困難の恐れがあるとされる。政府は、個々の市町村が行政の全分野を担うには限界があるとして複数の市町村で構成する「圏域」を行政主体に掲げる。令和の時代。さらなる自治体再編が訪れたとき、行政の効率性だけでなく「地域らしさ」という尺度は守られるのか-。中津江の村民は漏らす。「『村』の名すらなくなるかもしれん。俺らの故郷はまだ残っちょるやろか」 =敬称略

=2019/05/09付 西日本新聞朝刊=

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