柿右衛門、ルーツは八女 16世紀に佐賀へ 「酒井田氏一族発祥地」の石碑も 「有田女性やきもの勉強会」ゆかりの地巡る

 「濁手(にごしで)」と呼ばれる乳白色の磁肌に赤絵が調和した作風で知られる有田焼の名窯、酒井田柿右衛門窯(佐賀県有田町)。その酒井田家のルーツが八女市にあるのをご存じだろうか。3月中旬、有田焼作家や窯元の夫人らでつくる「有田女性やきもの勉強会」の一行約20人が八女を訪れ、ゆかりの地を巡った。柿右衛門と八女-。そのつながりをひもといた。

 八女市役所から南に約1・5キロの八女市酒井田地区。住宅や田畑が点在する一角に「酒井田氏一族発祥地」と刻まれた石碑が立つ。戦国時代までこの地を治めた酒井田氏の屋敷跡に2002年、地元有志が建立した。石碑の傍らには色絵磁器の人間国宝だった故十四代酒井田柿右衛門さんから贈られた柿の木がある。

 「のどかな風景の中に数百年前から続く歴史の一端を感じます」。やきもの勉強会メンバーの一人、当の十四代の妻酒井田祐子さん(79)が話す。「柿右衛門様式は自然の草花を生かした絵柄に特長がある。八女の風景が、代々受け継がれてきた作風につながっているのかもしれませんね」

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 酒井田氏の血筋はどのような経緯をたどって有田にたどり着いたのだろうか。元八女市文化財専門委員会長の杉山洋さん(94)が04年にまとめた小冊子「酒井田柿右衛門物語」(八女市教育委員会発行)をめくった。

 酒井田地区は、元は「境田」と呼ばれていたが室町後期に「酒井田」と呼び名が変わり、一帯を治めていた上妻(こうづま)氏の一族が館を築いて酒井田を名乗るようになった。

 酒井田氏は戦国時代に豊後の大友氏の配下に入った。転機は1582年の辺春(へばる)城(現八女市立花町)の合戦。大友氏と九州の覇権を争っていた肥前の龍造寺氏の攻撃を受けた辺春氏に加勢するため出陣。この戦いで頭領の酒井田統連(むねつら)をはじめ一族の多くが戦死した。

 当時6歳だった一族の少年が龍造寺氏の人質となり、配下の豪族上野氏に預けられ、現在の佐賀県に移住した。少年は「円西(えんさい)」と名乗り、日用雑器作りを手掛けた。その長男が1643年に赤絵磁器の焼成に成功した初代柿右衛門というのだ。

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 両地域で伝わったこうした伝説を、杉山さんは確かな史料で裏付けたという。八女市職員だった1950年代に調査に取り掛かり、97年、酒井田氏の系譜図や辺春城の合戦に関する書状を久留米市に住む酒井田氏の子孫の家で見つけた。

 「柿右衛門のルーツが八女であるという伝承とも整合性が取れ、ほぼ間違いない。世界的に有名になった柿右衛門と八女が深く結び付いていることを子どもたちにしっかり伝え、誇りに思ってもらいたい」と話す。

 八女市中心部にある八女民俗資料館(同市本町)には、酒井田氏の系譜図や書状の複製、酒井田家から寄託を受けた十四代柿右衛門さんの作品7点などが展示されている。

=2019/05/11付 西日本新聞朝刊=

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