フォーク編<420>村下孝蔵(2)

西日本新聞

中学時代の村下孝蔵(中列の中央) 拡大

中学時代の村下孝蔵(中列の中央)

 歴史家、評論家でジャーナリストの徳富蘇峰(1863~1957)の記念館が、故郷である熊本県水俣市の水俣川の河畔にある。蘇峰は記念館近くの水俣第一小学校の校歌も作詞している。

 〈矢筈の山の空の色 月の浦わの波の音 清くさやけき水俣の われらは踏まん人の道〉

 この校歌を歌った児童の一人が村下孝蔵だ。村下は1953年に水俣市で生まれた。水俣第一小へは出水小(鹿児島県出水市)から2年生時に編入した。村下の父親は水俣市で映画館の「コトブキ映劇」「太陽映劇」を開業していたが、出水市でも「泉映」という映画館を経営していた。村下は父親の仕事の関係から出水小に入学した。出水市の詩人、岡田哲也(71)は少年のころ、「泉映」によく映画を観(み)に行った。

 「後に村下さんの父親がやっていたということを知りました。当時はトイレの窓から忍び込んだこともありました」

 村下が音楽に出合うきっかけになったのは実家の映画館だった。

   ×    ×

 水俣第一小学校は、約3千人の児童数だった。それだけに同じクラスにならないと、なかなか親密になれなかった。同級生の奥龍一(66)は同じクラスになったことがある。小学時代の村下の印象について語った。

 「あまり目立たない、おとなしい子どもでした。ただ、音楽の授業での歌はうまかったです」

 村下と友達になれば「特典」があった。映画を無料で観ることができた。

 「村下と一緒に行けば、ただで映画館に入ることができました。記憶しているのは一度、途中から入ったため、次の上映も観てしまい、家に帰るのが遅くなったことです。家族がどこに行ったかと、警察へ届け出る寸前でした」

 村下は映画少年であり、水泳も得意だった。水俣川の少し上流は子どもたちの天然のプールでもあった。そこで覚えた水泳もまた、村下の後の人生にクロスすることになる。

 村下は1965年、水俣第一中学校に入学する。3年1組の同じクラスだった坂本由伊子(66)は放課後、教室でギターを弾きながら歌う村下を何度もみたことがある。

 「加山雄三がかっこいい、とよく言っていました」

 村下の少年時代のあこがれは加山雄三で、映画から飛び出したスターだった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2019/05/13付 西日本新聞夕刊=

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