清正の「八の字堰」復活 八代市の球磨川、50年ぶり 自然再生と「親水」に期待

西日本新聞

 八代市渡町の球磨川で、江戸時代初めに肥後藩主の加藤清正が造り、昭和の河川事業で姿を消した「八の字堰(ぜき)」が、50年ぶりによみがえった。国土交通省八代河川国道事務所が4年がかりで進めていた復元工事が完了した。堰の下流側にアユの産卵場や餌場となる瀬ができやすい構造になっており、河川改修で瀬が減少した球磨川下流域の自然再生と親水空間づくりに期待が高まっている。

 清正は治水と水利を目的に八の字堰を築造。川の中央から下流へ八の字形に自然石を組むことで、川の流れを両側に分けて急流を和らげ、流れの先で取水した。1969年、上流側に現在の「遥拝(ようはい)堰」が完成し、撤去された。

 復元は、遥拝堰から約3キロ下流の新萩原橋周辺までの流域で官民一体で取り組む「かわまちづくり」事業の一環。古文書や白川などに残る清正築造の堰を参考にし、当初と同じ川幅200メートル余りの場所に復元した。八の字は、一方の長さが約160メートル、もう一方が約190メートルで、幅は共に約16メートル。河床からの高さは約1・5メートルで、増水時は越流する。八の字の外側の河床には幅10メートル前後にわたって石を敷き詰めた。4トンの巨石を含む自然石は、流域の改修工事などで出たもので、総重量約1万4千トン。事業費約7億円。

 事務所によると、堰の敷石や下流の瀬の石には、すでにアユの餌になる藻が付き始め、多くの産卵も確認されているという。

 復元を受け、八代市は堰の左岸にバーベキューやイベント、川遊びなどができる多目的広場を本年度中に整備する方針。

 かわまちづくり実行委員長の上久保祐志・熊本高専准教授(46)は「魚類の生息環境の改善だけでなく、住民が親しめる身近な川になり、環境や防災の教育にも役立ってほしい」と話した。

=2019/05/14付 西日本新聞朝刊=

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