創設18年、初の「一番山笠」 川渡り神幸祭18日開幕 三井伊田地区総指揮者・帆足さん

西日本新聞 筑豊版

藤色の法被を身にまとい、本番に向けて気合いが入る帆足隆弘さん 拡大

藤色の法被を身にまとい、本番に向けて気合いが入る帆足隆弘さん

 18日開幕する田川市の「風治八幡宮川渡り神幸祭」で、神輿(みこし)に続いて彦山川へ足を踏み入れる「一番山笠(やま)」を初めて務める三井伊田地区。総指揮者の帆足隆弘さん(47)は幼いころから山笠創設を願い、18年前に山笠を作ったメンバーの1人だ。「先代たちに恥じぬよう、盛大な祭りにしたい」と意気込んでいる。

 同地区にはかつて、三井田川鉱業所の炭鉱住宅街が広がっていた。現在の集合住宅になるまでは、木造平屋が並び、電線が低く道路も狭いことなどから、地域を練り歩く山笠を作れないでいた。

 神幸祭は「人生そのもの」と帆足さん。小学生の頃は毎年カメラを携え、食べ物の屋台そっちのけで山笠を撮影した。「普通のおじさんがかっこよく見える」。よその地区の、山笠の中でたたくかねの練習を見学し、覚えたリズムを自宅の鍋のふたでたたいて楽しんだ。小学6年のとき、上伊田地区の幟(のぼり)山笠に乗せてもらう機会があり、憧れは加速。幼なじみと一緒に地区の大人に「なぜうちに山笠がないの?」と訴え続けた。

 高校卒業後、地元や県外で働いたが、「神幸祭が近づくと仕事が手に付かなくなって…」。周囲も驚く“のぼせもん”。気を利かせた上司が、田川に帰る飛行機を手配してくれたこともあった。

 帆足さんが再び田川に戻って鉄工所に就職した数年後、地区は長年の悲願である山笠作りに向け動きだした。1999年末に地元住民が実行委を立ち上げ、個人や企業にカンパを募ると約1100万円が集まり、宮大工に山笠制作を依頼した。

 2001年の初参加に向けた準備は全てが手探り。今なら半日程度で終わる、山笠飾り「ばれん」作りにも苦戦し、丸1日がかりだった。当日は約200人の担ぎ手が集まり、かき棒につけない人も。「息は合わなかったが、自分の地区の山笠が出たのは、言葉にならないくらいうれしかった」。山笠の後方に乗った帆足さんら、初参加に尽力したメンバーは2日目に地区に戻ってくると、喜びの涙を流した。

 あれから18年。少子高齢化の影響で、地区は担ぎ手不足に悩まされている。近年は100人ほどで、若い人も減っている。

 初めての一番山笠。地域住民の思いが込められた山笠が安全に動くよう、乗らずに全体を見て指示する役割の総指揮者として、一番山笠の中でも最初に川に入る予定だ。「一番は景色が違うと聞いているので、楽しみ。他地区の山笠ももり立てていきたい」

=2019/05/16付 西日本新聞朝刊=