「親和」の精神を継ぐ 前田 隆夫

西日本新聞

 親和銀行本店は長崎県佐世保市の商店街の一角にある。役員応接室がある3階でエレベーターを降りると、正面の壁に「親和」と墨書された扁額(へんがく)(縦57センチ、横168センチ)が目に入る。

 書いたのは米内(よない)光政。元海軍相。日米開戦前に半年だけ首相を務めた。山本五十六らと日独伊三国同盟に一貫して反対し、開戦後も早期終戦の道を探った。海軍佐世保鎮守府の司令長官として、佐世保に浅からぬ縁がある。

 この扁額が「親和の名付け親は米内」の誤解を広げた。十八銀行(長崎市)との合併を伝える時、間違って報じたメディアもあった。

 阿川弘之さんの著書「米内光政」に、米内が佐世保の知人に頼まれて命名したと書かれており、これが誤解の一因のようだ。私もそうだった。

 親和銀行史によると、真の名付け親は2代目頭取の北村徳太郎。戦後、運輸相や大蔵相を歴任した。銀行史は、北村が自著に残した命名のいきさつや家族の証言などの根拠を連ねている。

 親和銀行は1939(昭和14)年9月、佐世保銀行と佐世保商業銀行が合併して誕生した。佐世保商銀の頭取だった北村は、平沼騏一郎が首相時に唱えた「一億総親和」から新銀行名を考えついた。

 北村の長女が、母から聞いたところでは「やはり親和にするよ。多くの銀行を集めたから、和を重んじなきゃいかん」と語っていたそうだ。

 佐世保銀と佐世保商銀の合併は、経営規模が肩を並べる同じ地域のライバル同士。行風も異なる。うまくいくのかと心配された。だからこそ、北村は新銀行の名前に和を重んじる精神を込めた-。

 そう解説してくれたのは現在の吉沢俊介頭取。銀行の名前にはたいてい、地名か国が設立順に付けた数字が付く。親和は特殊だが、頭取は「誇りに思っている」と語る。

 歴史は面白い巡り合わせを用意していた。親和銀は県内で長く競い合ってきた十八銀と来年10月に合併する。80年前の状況に重なる。新行名は「十八親和銀行」に決まった。

 「これまでの歴史を大事にしながら、新しい挑戦をするいい機会だ」。吉沢頭取の言葉に親和の精神を継ぐ気概が感じられる。それを一番望んでいるのは顧客だろう。

 ところで、なぜ米内の扁額があるのか。親和銀行史を引くと、米内が佐世保時代に下宿していた丸善醤油(しょうゆ)の主人が親和銀の初代監査役になり、得意先に配る扇子の文字を求めて依頼。米内は快く応じたということだ。

 これも新銀行に継承すべき財産だろう。

 (佐世保支局長)

=2019/05/17付 西日本新聞朝刊=

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