誰が本当の「平和ぼけ」か

西日本新聞 オピニオン面

 「これだから『昭和を遠く』しちゃいかんのだよなあ…」。テレビのニュースを見ながら、私はしみじみ思った。日本維新の会に所属していた丸山穂高衆院議員が、北方領土の元島民に、戦争による北方領土奪還をけしかけるような発言をした一件である。

 35歳の丸山氏は今月11日、北方領土へのビザなし交流訪問団に参加した際、酒を飲んで元島民の訪問団長に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」「戦争をしないとどうしようもなくないですか」などと詰め寄った。

 これに対し、89歳の団長は「戦争はすべきでない」「戦争なんて言葉は使いたくない」「戦争は必要ない」と繰り返した。団長はソ連(現在のロシア)によって島を追われた当事者である。無念や恨みはあって当然だが、それでも「戦争で奪還」を全否定した。

 これはやはり、戦争を知る世代が身をもって獲得した見識、信念なのだろう。強さと重みを感じる。

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 丸山氏の発言が浮き彫りにしたのは、戦争がもたらす厄災の体験を継承していない世代が、戦争を「普通に取れる手段」のように考え始めている現状だ。

 厚生労働省によれば、先の大戦における日本人戦没者数は310万人である。さらにおびただしい数の戦傷者がおり、一部は一生残る重い障害を負った。死者の一人一人に遺族がいることも忘れてはならない。大事な人を失った悲しみはどれほどだっただろうか。

 戦場では、戦争を推し進めた軍高官や議員でもない下級兵士や庶民が、砲弾で手足をもがれ、空襲で全身を焼かれて死んでいった。食糧補給が途絶え、飢えて死んだ兵士も数知れない。

 こうした生々しい体験の上に立ち、戦後の日本政治は「とにかく戦争をしない」ということを大前提にして出発した。政治とは戦争をくい止めるためにある。もし戦争になってしまったら、それは政治の敗北であり、政治家という存在の自己否定なのだ。それだけの矜持(きょうじ)が昭和後期の政治家にはあったように思える。

 それに比べれば「戦争しないとどうしようもなくないですか」の発言は軽い。あまりにも軽い。

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 「戦争も辞さず」などと勇ましい言葉を使えば、自分も強くなったような気がする。それで実際には何も問題は解決しないのだが、平和主義を「弱腰」と決めつければスカッとする。丸山氏の発言は、そんな昨今のネット世論と同じ心理状態にあるように見える。

 「平和ぼけ」という言葉がある。日本で平和が続いているため、世界の安全保障の厳しい情勢に危機感が薄くなった状態を指す。リベラル、ハト派の外交姿勢や安全保障政策を揶揄(やゆ)する時に使われることが多い。

 しかし私に言わせれば、戦争の本当の悲惨さについて知識も想像力も欠いたまま、ただ威勢のいい発言で好戦的なムードをあおる連中こそ、よほどたちの悪い「平和ぼけ」である。

 私は2週間前のこのコラムで、元NHKアナウンサー鈴木健二さんが「遺言」として書き記した東京大空襲の体験を紹介した。その上で「令和になっても『昭和を遠く』してはならない」と書いたが、令和11日目で早くも丸山氏の発言だ。

 先が思いやられる。

 (特別論説委員)

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