穴うがつ作風を確立 豊福さん死去 東洋の精神込め

西日本新聞 社会面

福岡県太宰府市で水城の間伐材にのみを打ち込む豊福知徳さん=2011年 拡大

福岡県太宰府市で水城の間伐材にのみを打ち込む豊福知徳さん=2011年

博多港引揚記念碑として福岡市の港湾地区に建てられた豊福知徳さんの「那の津往還」

 【評伝】長くイタリアを拠点に活躍した豊福知徳さんは戦後、国際的評価を得た数少ない日本人彫刻家だ。作品に多くの穴をうがつ抽象的な作風で知られ、白ワインを愛するダンディーな紳士だったが、歩んできた道は平たんではなかった。

 陸軍特別操縦見習士官、つまり特攻予備軍として敗戦を迎え、戦後転がり込んだ木彫家冨永朝堂の福岡県太宰府市のアトリエで伝統的な木彫の技をたたき込まれる。「漂流」と名付けられた初期の具象シリーズは寄る辺のない、深い孤独を感じさせる。35歳でベネチア・ビエンナーレに出品を果たし、そのまま40年間ミラノに在住。フランス発のアンフォルメル(非具象)運動の影響を受けながらも、東洋的な諦念を感じさせる静かなたたずまいが海外のファンにも受け入れられた。

 ミラノのアトリエにおじゃましたことがある。晩年でも昼夜各1本ワインをあける酒豪。気さくな人柄はうわさ通りだったが、酔って羽目を外した同行者の一人を、豊福さんがひとにらみで凍り付けにしたとき、気さくなだけの人でないと知った。

 なぜ彫刻に穴を開けるのか‐。たびたび繰り返される質問に「彫っていたらたまたま。効果が面白くて」と答えているが、どこまで本心か。戦争で死の影を踏み、戦後の欧州を席巻した実存主義にも触れ、具象から抽象に転向した人の自己韜晦(とうかい)のような気がする。

 昨年から豊福作品を管理する財団の評議員をやっている。久々に会った本人は車椅子で言葉も不自由だったが、ワイングラスを手にする格好の良さったら。やはりすごみのある人だと思った。

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■「日本代表する彫刻家だった」 ゆかりの人、悼む

 18日に死去した彫刻家・豊福知徳さんは、木に数多くの穴を開けるという表現で世界的に名をはせた。美術界に大きな足跡を残した豊福さんの死を、ゆかりの人たちが悼んだ。

 福岡県飯塚市出身の画家・野見山暁治さん(98)は、戦後ほどなく知り合った豊福さんの第一印象を「美男子で、剣道をしていたから姿勢もいいハンサムボーイだった」と振り返る。2011年、石橋美術館(現久留米市美術館)で開かれた野見山さんの回顧展会場に豊福さんが車椅子で現れ、「弱りましたよ」と漏らした。それが最後となった。「同時代を生きた人がまた一人いなくなり、胸にぐさっときます」と落胆した。

 福岡アジア美術館元館長の安永幸一さん(80)は「木に穴を開けることで、あちらとこちらの空間に意味を持たせる、他に類を見ない表現をよくぞ思いついた。日本を代表する彫刻家だった」とたたえた。

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