豊福知徳さん死去、94歳 世界的彫刻家、「穴」特徴 

西日本新聞 一面

2004年に福岡県太宰府市で開かれた展覧会場で作品の横に立つ豊福知徳さん 拡大

2004年に福岡県太宰府市で開かれた展覧会場で作品の横に立つ豊福知徳さん

 西洋近代彫刻に東洋の精神を融合させ、象徴的な「穴」を配した彫刻で国際的に高い評価を受けた豊福知徳(とよふく・とものり)さんが18日午後11時57分、福岡市の病院で死去した。94歳。福岡県久留米市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。後日お別れの会を開く予定。喪主は長女夏子(なつこ)さん。

 国学院大在学中の1944年、旧日本陸軍に志願。終戦後、復学せずに福岡県太宰府市の木彫家冨永朝堂に師事した。59年に「漂流’58」で高村光太郎賞。翌年のベネチア・ビエンナーレ出品を機に、イタリア・ミラノを創作拠点とした。

 渡欧後は具象的な彫刻から穴を巧みに配した抽象彫刻に作風が変化。穴と穴とが絡み合い、虚実が錯綜(さくそう)するような思索的な作品を数多く制作した。ミラノに住む間も剣道や書をたしなみ、能や禅への憧れを口にするなど日本文化への憧憬(しょうけい)を持ち続けた。欧州では「東洋の精神がこもった彫刻」とも評された。

 久留米市中央公園の「愛の泉(石声庭)」や博多港中央ふ頭の「那の津往還」など、大規模な野外作品も数多く手掛けた。

 93年に紫綬褒章、2001年に勲四等旭日小綬章。03年から福岡市に転居し、同年西日本文化賞を受賞。一時は冨永の仕事場をアトリエとしていたが、近年は体調を崩していた。

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