1937年、モンゴルのデミド国防大臣はモスクワに招かれた…

西日本新聞 オピニオン面

 1937年、モンゴルのデミド国防大臣はモスクワに招かれた。名目は「ソ連軍演習の観覧」。シベリア鉄道に乗車した2日後、デミドと随員の2人は車内で急死した

▼遺体はそのままモスクワへ運ばれる。妻は返還を求めたが、当局は大急ぎで火葬し遺骨だけを戻した。発表は食中毒死。けれど国民は「専属のコックを同行しないとソ連からは生きて帰れない」と毒殺を疑わなかったという

▼モンゴル軍の最高責任者だったデミド。隣国ソ連からの軍隊進駐や軍事条約締結に強く反対していた。ソ連にとっては排除したい人物だったに違いない

▼当時、ソ連の指導者はスターリンだった。治世では「国家反逆」「スパイ」のぬれぎぬを着せて政敵など数百万人を粛清したと伝わる。謎の死を遂げた者もデミドだけではあるまい

▼かつてスターリンの誤りを批判したはずのロシアで今、再評価の動きがあるそうだ。町から撤去されていた胸像が新設され、世論調査で「称賛、尊敬」の肯定評価が過半数の51%という。歴史の風化か、忘却か。もっともロシア国民も日本人に同じ不安を抱いたかもしれない。国会議員が北方領土の「武力奪還」を口にするようでは

▼強いリーダーを好むのはロシアの国民性にしても、独裁者への懐旧には不気味な風潮を感じる。劇作家ブレヒトの有名なせりふ。「英雄のいない国は不幸だ」「いや、英雄を必要とする国が不幸なんだ」

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