旅籠建築潜む謎 復元終えた小郡市の「旧松崎旅籠油屋」 板外すと「配膳穴」?「貴重品箱」?

西日本新聞 もっと九州面

屋号を記した看板と格子壁が印象的な「旧松崎旅籠油屋」=福岡県小郡市松崎 拡大

屋号を記した看板と格子壁が印象的な「旧松崎旅籠油屋」=福岡県小郡市松崎

広々とした土間と中央の大階段が目を引く内部 2階の床板を外すと、四角い穴が現れる。食膳をつり上げて運んだのだろうか

 東海道や中山道といった本州の五街道沿いには江戸時代の旅籠(はたご)建築が点在しているが、九州にはほとんど残っていない。だが福岡県小郡市松崎の「旧松崎旅籠油屋」(市指定有形文化財)は、旧薩摩街道沿いに現存する九州で珍しい旅籠建築だ。3月、足かけ8年間に及ぶ調査と復元工事を終え、往時の姿によみがえった。建物には旅籠ならではの“秘密”が潜んでいた。

 市中央部を東西に横切る国道500号の南側、こぢんまりとした商店が立ち並ぶ旧街道筋に入ると、油屋はある。「御宿」「油屋」と大書された看板と2階の窓(障子戸)、1階の格子壁が目を引く。

 「実は2階の窓は、旅籠にしかなかったんですよ」。小郡市埋蔵文化財調査センターの片岡宏二所長(62)が2階を見上げて話した。

 街道は参勤交代の際、大名行列が進む。行列を見下ろす窓なぞ「頭が高い!」ということになりかねない。当時の街道沿いで、高い位置にある窓は通気口程度しか認められなかった。だが2階に客間がある旅籠の場合、客を暗く湿った部屋に押し込めるわけにもいかない。故に障子戸などの建具が認められていたという。

 主屋に入ると、広々とした土間と、1・8メートル幅の大階段が存在感を放つ。旅籠とは宿泊施設であり、食堂でもあった。大勢の客をもてなすためかまどの火を絶やさず、屋内は湯気や煙が立ち込めていただろう。格子壁は換気を良くするための工夫だったのだ。

 「ここが開くんですよ」。大階段を上がり、おもむろに片岡さんが2階の床板の一部を取り外すと、約1メートル幅の穴がぽっかりと開いた。「食膳をつり上げたか、それとも別の用途か」。天井にはつり滑車の跡などは見当たらず、断定には至っていないという。江戸版“配膳用エレベーター”のように見えなくもない。

 他にも謎はある。2階の廊下の隅と出窓の隅の2カ所で、板を外すと現れる隠し箱だ。推定される用途は二つ。一つは、掃き掃除の際にちりを集めて入れておくごみ箱。もう一つは、誰にも気付かれず大事な品を入れる箱‐。「文化財建築専門の大工さんが言ってましたから、ごみ入れですよ」。片岡さんは笑ったが、ここはロマンを託して「貴重品箱」に票を投じたい。

    *   *

 松崎宿は1668(寛文8)年、久留米藩の支藩として石高1万石の松崎藩が成立したことに由来する。松崎藩はわずか16年で廃されたが、宿場町のにぎわいは続いた。幕末には旅籠26軒が軒を連ねたという。近代化で宿場町の機能が失われてからもしばらくは、警察署や法務局もある「町の中心」だった。現在はそれらも移転し、閑静な町並みが広がる。

 残された史料には、後に日露戦争の第3軍司令官を務めた乃木希典が油屋で昼食を取ったこと、どこの旅籠屋かは不明だが、天璋院篤姫、伊能忠敬、吉田松陰らが松崎を訪れたことが記されている。

 油屋の資料館には「西郷隆盛が使った」とされる漆塗りの杯があり、「西郷が階段を上ると、犬も付いて上ったので『おまえも客と思っておるか』と笑った」との話まで伝わっている。しかし宿帳などの史料はない。確か西郷は酒に弱かったような‐。

 謎を深追いするのはやめよう。幕末期、薩摩街道が激動する歴史の“目抜き通り”だったことは確かだ。その傍らに立つ油屋は、静かに往時のにぎわいを今に伝える。

■台風で被災、保存へ住民が募金

 油屋は1991年の台風で屋根が吹き飛び、解体の危機にひんしたが、地域住民が保存を求めて署名と募金活動を展開。建物の復元につながった。保存運動に携わり、現在は油屋の管理を担うNPO法人「小郡市の歴史を守る会」の磯部冨士夫理事長(80)は「こんなに立派になるとは夢にも思わなかった。大人も子どもも楽しめる催しを企画したい」と語る。

 3月には落成に合わせて、市民から寄せられたひな人形を展示した。8月3-12日には博多人形展を予定する。開館時間は午前10時-午後3時。入場無料。第2・第4日曜休館。小郡市の歴史を守る会=0942(80)1920。

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