久留米の屋台、ついに1桁に 店主高齢化、半世紀で10分の1

西日本新聞 筑後版

「この場所で営業を続けたい」と話す「はらだ」店主の原田智さん 拡大

「この場所で営業を続けたい」と話す「はらだ」店主の原田智さん

2004年ごろ、久留米市の公園近くに並んだ屋台 久留米市中心部で屋台が集まるエリア

 久留米市中心部で営業する屋台がついに10軒を切ってしまった。昭和40年代には約70軒が大通りや公園沿いに軒を連ねたが、店主の高齢化や、新規の道路使用許可が認められないことから、その数は減少の一途をたどっている。「このままでは久留米の町から屋台の灯が消える」。関係者は危機感を募らせている。

 久留米の屋台は、大きく分けて、目抜き通りの「明治通りエリア」と小頭町公園前の「小頭町エリア」の2地区に集まる。屋台が加盟する組合も二つ(久留米移動飲食業組合、久留米飲食五業共栄組合)ある。かつては三本松公園や市役所近くにも屋台があったが、いずれも姿を消した。

 5月上旬、小頭町エリアにある「はらだ」ののれんをくぐると、五業共栄組合の組合長でもある店主の原田智さん(45)が常連客2人と談笑していた。かつて小頭町エリアの屋台は12軒程度あったが、現在も営業するのは「はらだ」のみ。原田さんによると、はらだが創業した1969年には市内で72軒が営業していたが、現在は6-7軒ほど。半世紀で10分の1になった。

 「みんな高齢化で辞めていった。残っている屋台の店主も多くは65歳以上。行政が主導して、やる気がある若い人を募集できないか」と原田さん。念頭にあるのは、約100軒の屋台が集まる福岡市の取り組みだ。同市は2013年、屋台の営業適正化を盛り込んだ屋台基本条例を制定。営業許可を受けた人とは別人が営業する「名義貸し」の廃止に伴い、16年に新たな経営者の公募を始めた。

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 公募について久留米市はどう考えているのか。市総合政策課の担当者は「久留米市役所には屋台を直接所管する部署がない」と前置きした上で「久留米の屋台は全て国道、県道の歩道にあるため、市としての対応は難しい」と説明する。仮定の話として、全ての屋台が市道や市が管理する公園に移転した場合は「公募を検討する可能性が出てくる」という。

 ただ、屋台店主の多くは慣れ親しんだ場所から移ることに否定的だ。移動飲食業組合の組合長で、現在は体調不良のため休業している小頭町エリアの「武ちゃん」店主、松本勝さん(71)によると、昨年11月ごろ、組合員の意向を聞いたところ移転に賛成する人はいなかった。「観光客が多い福岡と違い、久留米は常連客中心の地域密着型。移転したら誰も来なくなるかもしれん」と松本さん。原田さんも「常連客が帰り道に迷うようなことはできない」と言い切る。

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 もう一つの課題は、屋台営業に不可欠な県警の道路使用許可だ。県警は道路交通法に基づき、交通妨害や公益性の有無、社会慣習上の必要性を勘案して許可を判断している。久留米の屋台について、県警本部交通規制課は「あくまで個人の生計目的。福岡市のように地方公共団体の関与もなく、公益性が認められない」として、新たな出店は認めていない。以前から営業する屋台は「継続性や社会慣習上、やむを得ない」として認めているという。

 ご当地新聞「くるめすたいる」発行人の筒井博文さん(61)によると、地元のラーメン店や焼き鳥店など屋台にルーツを持つ店は数多く、久留米の食文化を語る上で欠かせない存在だ。久留米発祥の豚骨ラーメンが生まれたのも屋台だった。筒井さんは2004年と17年に屋台マップを作成した。掲載した店舗数は04年37軒、17年13軒。筒井さんは「マップを作るたびに、どんどん数が減る。新規参入できる『屋台特区』のようなものができないか。何らかの手だてをしないと、風前のともしびだ」と危惧している。

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