末永直行さん死去 九響支援、音楽振興に尽力 96歳

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末永直行

福岡音楽学校(後の福岡音楽学院)を運営していた末永直行氏と博子夫人(中央)=1962年、福岡市

 九州交響楽団への支援や駅弁会社経営など福岡の文化・教育・経済各界で幅広く活動した末永直行(すえなが・なおゆき)さんが14日午前1時57分、肺炎のため福岡市の病院で死去した。福岡市出身、96歳。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を開く予定。

 西南学院大在学中の1950年、フランスのピアニストの福岡公演に協力したことを契機に、福岡日仏協会の設立に携わり、78年に同協会の会長になった。

 52年に西日本音楽協会を設立し、新人音楽家の発掘を目指すコンクール(現・西日本国際音楽コンクール)を開催。62年に西日本文化賞を受賞した。

 博多の老舗駅弁会社社長を務める傍ら、末永文化振興財団を設立し、私財を投じて、九響の専用練習場でもある「末永文化センター」(福岡市)を87年に建設した。

 2006年から10年まで福岡大学理事長を務めた。

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九響愛した「育ての親」

 九州交響楽団の初期から関わり、永く役員として支え続けた末永直行さんは、まさに九響の「育ての親」の一人。音楽を、九響を心から愛し、そのまなざしはわが子を見守るようだった。

 初めて会ったのは1970年代半ば。末永さんは既に家業の駅弁会社社長で、いつも笑顔を絶やさず余裕を感じさせた。土地持ちの資産家という金銭的なゆとりが温厚な人柄を育んだのかもしれない。おしどり夫婦だったピアニストの博子さんが2014年に亡くなった際のしのぶ会でも、にこやかな表情を見せていたのが忘れられない。

 末永さんの最大の功績は九響の専用練習場「末永文化センター」の建設だろう。九響のために、土地を提供し莫大(ばくだい)な私財を投じたのだ。当時、練習場を持っていたオーケストラはNHK交響楽団と読売日本交響楽団くらいで、九響に触発された全国のオケが練習場を設置するようになり、九響はもちろん日本中のオケの質がぐんと向上した。

 文化を市民に広げようという情熱をいつもにじませていたが、その思いを口にすることはなかった。あくまで自然体。晩年まで、末永文化センターで開かれるコンサートを楽しんでいた。愛した音楽に包まれた幸せな人生だったのだろう。 (吉田浩=元西日本新聞文化部長)

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専用練習場を建設、楽団監督「大恩人」

 14日に死去した末永直行さんは、クラシック音楽家の育成など、地域文化や教育の支援に生涯尽力した。ゆかりの人々からは長年の文化に対する愛と情熱に感謝する声が聞かれた。

 九州交響楽団音楽監督の小泉和裕さん(69)は、約30年前に末永さんの自宅を訪ね「オケ専用の練習場をつくってほしい」と依頼。末永さんは穏やかな表情でじっくり話を聞き、私財を投じて「末永文化センター」を建設した。「当時、地方オケで専用練習場を持ったのは大事件。格段にレベルが上がり、九響にとっての大恩人」とたたえた。

 ピアニストの妻・博子さん(故人)が設立した福岡音楽学院院長の藤村佑子さんは「九州の音楽家を支えてくれた偉大な方だったのに」と落胆。4月下旬に末永さん宅でピアノを披露し、「元気で、うれしそうに聴いてくださっていた。信じられない」と驚いた様子だった。

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