若冲 京都 福島 武雄 田代芳樹

西日本新聞 オピニオン面

 鮮やかな色彩と精密な描写で知られる江戸時代中期の絵師、伊藤若冲(じゃくちゅう)。生誕300年の節目に起きた一大ブームは記憶に新しい。

 その若冲展が先日まで福島市で開かれていた。東日本大震災からの復興を願う企画展で、福島では6年前に開かれて以来、2度目だった。なぜ復興祈念に若冲なのか。

 若冲は70歳を過ぎた頃、京都で起きた史上最大規模の火災、天明の大火(1788年)に見舞われ、被災者の一人として晩年を過ごした。そうした境遇や古里復興への若冲の思いが作品を通じて伝わったのか、前回の開催後、「もう一度、福島で」と望む声が多く寄せられたという。

 今回の若冲展で、佐賀県武雄市から出展された国の重要文化財が注目を集めた。江戸期に西洋からもたらされた青色合成顔料「プルシアンブルー」だ。約310年前にドイツ(当時のプロイセン)で赤色の顔料を作る際、偶然に発明されたという。「プロシアの青」が名の由来である。

 鮮やかな色合いで、日本の絵画における「青」の表現を画期的に進歩させた。葛飾北斎らに先駆け、いち早く取り入れたのが若冲とされる。

 全30幅からなる若冲の大作「動植綵絵(どうしょくさいえ)」を修復した際、その中の「群魚図」でルリハタを描くのに、プルシアンブルーを使っていたことが科学分析で明らかになった。

 武雄市所蔵の顔料は、佐賀藩武雄領主の鍋島茂義(1800~62)の収集品だ。蘭学を積極的に導入した茂義は、「皆春齋」の雅号を持つ画家でもあった。顔料はオランダなどから購入、約200種が残り、絵画史を究明する上で貴重な史料と評されている。

 プルシアンブルーもその一つ。江戸絵画研究の権威で、今回の若冲展を企画監修した京都国立博物館名誉館員の狩野博幸さん(福岡県糸島市出身)が出展を依頼した。

 狩野さんの解説によれば、若冲は焼け出された後、大阪に避難したとみられ、当地の寺にふすま絵を残している。その裏面にあった寂寥(せきりょう)感漂う水墨画「蓮池図」には、枯れた蓮(はす)の脇に白いつぼみが、ぽっと浮かんで描かれている。「このつぼみには意味がある。若冲は京都の復興を願っていたのだ」と感じたという。

 武雄市の小松政市長は「今回の展示は武雄の誇りでもあり、福島とのつながりを純粋にうれしく思う」と話す。市職員時代、被災地支援の公益財団に出向し福島に直接関わった経験があり、自身は京都の生まれ。若冲-京都-福島-武雄、何とも不思議な縁が、さらに深まればと願う。

 (デジタル編集チーム)

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