捕鯨砲の実物を展示 呼子の鯨組主中尾家屋敷

西日本新聞 佐賀版

鯨組主中尾家屋敷に展示されている捕鯨砲 拡大

鯨組主中尾家屋敷に展示されている捕鯨砲

船に設置された捕鯨砲の隣に立つ塩見伊一さん クジラの骨を砕くための石臼

 唐津市呼子町の県重要文化財「鯨組主中尾家屋敷」に、昭和30年代初めまで実際に使われていた捕鯨砲がお目見えした。捕鯨基地だった小川島(同町)の水産会社が船に設置していたもので、保管していた元砲手が寄贈。国内有数の捕鯨基地として栄えた呼子の歴史を刻む貴重な資料という。

 捕鯨砲は全長173センチ、重さ380キロの鉄製。口径40ミリの小型砲で、射程は60メートルほど。クジラの中では比較的小さいミンククジラを狙っていたとされる。

 同屋敷を管理する市民団体「呼子鯨組」に捕鯨砲を寄贈したのは、水産会社の船で砲手を務めていた塩見伊一さん(81)=鹿児島県霧島市。

 塩見さんは20歳のころ、兄と一緒に船に乗り、小川島や壱岐島(長崎県)などの周辺海域で捕鯨を行っていた。「クジラは船が近づくと逃げる。動きを読んで、経験と勘で距離を測って撃っていた」。捕鯨の経験は約2年だったが、70頭を超すクジラを捕獲したという。

 会社が昭和30年代に捕鯨業を終えたのを機に、塩見さんは捕鯨砲を小川島の小学校敷地内に置いた。だが、3年ほど前、捕鯨砲が傷んでいるのを見て鹿児島の自宅に持ち帰ったという。

 2月、捕鯨の歴史を調査する県立博物館(佐賀市)学芸員の安永浩さん(43)と会い、捕鯨文化を示す貴重な物と聞き、自身も関わった捕鯨文化を後世に伝えたいとの思いから寄贈を決めた。

 捕鯨砲は4月上旬から同屋敷で展示。安永さんによると、小川島周辺の海域で使われていたとされる捕鯨砲は6門確認されているが、個人の所蔵もあり、一般公開されているのは3門という。

 江戸・明治期まであった小川島の解体場で、クジラの骨を砕くために用いられたとされる石臼も4月から展示されている。

 塩見さんは「捕鯨している様子を想像し、長く続いた歴史に触れてほしい」と話している。

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