ヨンガリ対プルガサリ 上別府 保慶

西日本新聞 オピニオン面

 韓国では、初代大統領の李承晩(イスンマン)政権以来、日本の映画やドラマ、流行歌などの大衆文化が法律で禁じられた。日本統治時代を連想させ、国民感情を逆なでするというのが理由だ。厳しい縛りは、1998年に金大中(キムデジュン)大統領が部分開放に踏み切るまで続いた。

 とはいえ人の往来がある以上、子ども向けの文化はしっかり流れ込んでいた。和製の漫画やアニメの海賊版、改作版を、そうとは知らないまま見て育った人は多い。

 日本の子供たちが「ウルトラマン」の怪獣ブームに熱狂していた67年、韓国でも映画「大怪獣ヨンガリ」が封切られた。その特撮は「ガメラ」の大映スタッフが請け負った。出てくる戦車が、韓国軍がメンツに懸けて使わぬはずの日本の61式戦車の模型で撮られていたから、すぐ分かる。

 物語は中東の核爆発で目覚めた怪獣が地震を起こしながら地中を進み、中国を経て韓国に出現するという冷戦下の世界を反映したものだった。

 その影響かどうかはさておき、85年には、何と北朝鮮が怪獣映画「プルガサリ」の製作を決定した。映画好きの金正日(キムジョンイル)書記(当時)の指示によるもので、日本から新作「ゴジラ」を撮ったばかりの中野昭慶特技監督や、ゴジラ役者の薩摩剣八郎さん(鹿児島県出身)ら東宝のスタッフ十数人を平壌に呼び寄せた。

 この作品は、民話に出てくる鉄を食べて巨大化する不死身の怪物「不可殺而(プルガサリ)」の物語。民を苦しめる高麗王朝への反乱を助け、王をやっつけるファンタジー“革命劇”だ。製作責任者と監督を務めたのは韓国の申相玉(シンサンオク)監督。滞在先の香港から俳優の妻ともども拉致され、北朝鮮で外貨を稼ぐ映画を作らされていた。

 東宝のスタッフたちには監視が付き、宿舎も盗聴される息苦しさの中、停電でしばしば撮影が中断するなどの苦労をなめる。「プルガサリ」は無事完成。しかし、申監督夫妻がロケ先の欧州で米国大使館に駆け込んで亡命したため、上映禁止となり、日本を含め海外輸出は封印された。

 それから10年ほど後に薩摩さんに取材した際、「プルガサリは、おいどんが出たゴジラに比べても、素晴らしい出来だったのになあ」としきりに惜しんでいた。やがて98年7月、この作品は東京と大阪の2館のみで公開され、ソフト化もされて日の目を見たが、監督名は申氏とは全くの別人に変わっていた。

 怪獣映画が映し出す東アジアの国と国との複雑な関係。その構図は、ヨンガリもプルガサリも忘れ去られた今なお、変わっていない。

 (編集委員)

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