大伴旅人邸跡 大宰府のどこ? 元九歴発掘技師の赤司さん講演

西日本新聞 ふくおか都市圏版

 序文が新元号「令和」の典拠となった「梅花の歌」(万葉集)を詠んだ大伴旅人邸は、大宰府政庁周辺のどこにあったか―。そんな旬の話題をテーマに23日、かつて九州歴史資料館の発掘技師として現地を調べた赤司善彦・大野城心のふるさと館長が太宰府市で講演した。史跡解説員グループ「くすのき会」が主催した。

 演題は「大伴旅人邸を考古学的に探る」で、まず、旅人邸跡とされると一部メディアが当初報じた政庁跡西北の坂本八幡神社に言及。戦後間もなく竹岡勝也九州大教授が「(旅人邸跡と)考えられない事もない」としたのが発端、と指摘した上で「教授は(神社自体でなく)周辺の台地としている」とも述べた。

 しかし、九歴が約30年前に神社周辺を発掘したところ、祭祀(さいし)用とみられる土製馬形「土馬(どば)」などが出たものの、8世紀前半の建物遺構は見つからなかったと説明。明確な根拠はないのに「旅人邸跡」として一人歩きする現実を、赤司さんは「都市伝説として広がっているよう。その多くは最近生まれたものだ」とした。

 赤司さん自身が「旅人邸跡として、一番いい場所」と挙げたのが、政庁跡東側丘陵前面の月山東官衙(かんが)(役所)地区。その根拠として「平城京でも、高位官人は宮殿の左前か横に住んだ」などを挙げた。その上で「今も大宰府展示館内に残る玉石敷きの溝は『梅花の宴』が催された庭園を流れた溝ではないか。あくまで推定だが」と自説を述べた。

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