消された球団の伝言 塩田 芳久

西日本新聞 オピニオン面

 作家阿部牧郎さんが先日、85歳で他界した。代表作としては直木賞受賞作「それぞれの終楽章」などが挙げられるが、戦後に1シーズンだけ存在したプロ野球の国民野球連盟(国民リーグ)をテーマにした「焦土の野球連盟」(1987年)も忘れがたい。

 国民リーグは、当時の日本野球連盟に“対抗”して47年に結成され、4チームが集った。「焦土‐」では、焼け野原の日本に野球で夢を与えたいと願う男たちが実名で登場し、奮闘する。新リーグには高名な選手も加わったが、資金難や日本野球連盟の横やりなどで挫折し、次のシーズンを迎えられなかった。いつの時代もカネにものを言わせる組織が勝つのだ、と思わせる読後感が切なかった。

 国民リーグ最後の試合があった2年後の49年、プロ野球は2リーグに分かれた。福岡では西鉄クリッパースがパ・リーグ、弊社を親会社とする西日本パイレーツがセ・リーグの球団として誕生した。

 「焦土‐」の主要登場人物である実業家、宇高勲さんがパイレーツの選手集めに奔走していて興味深い。国民リーグを主導して自ら球団をつくり、初代リーグ会長に就いた。人脈を生かし主力となる選手をスカウトし、巨人や阪神に対抗できる戦力を整えた。

 そのはずが、パイレーツは巨人相手に史上初の完全試合を許し、1試合8失策など不名誉な記録も残して8チーム中6位でシーズンを終える。するとセ・リーグは経営難を理由に解散を迫ってきた。資金確保に努めていた51年の元日、某中央紙が「セ・リーグ6球団制か」の記事を載せた。パイレーツ関係者は「“やめてしまえ”調の記事」と吐き捨てた(「ベースボールニュース」51年3月1日号)。

 結局、パイレーツは1月30日、セ・リーグ脱退とクリッパースとの合併を発表する。本紙記事には「連盟を牛耳る旧球団の一部が、あらゆる手段を打って崩壊を画策した」「この上セ・リーグの圧迫にたえられない」と怒りのこもる脱退理由が記されている。

 宇高さんは「悪夢」を2度見た思いだったろう。後に西鉄ライオンズのスカウトとなり、大下弘さんや豊田泰光さんらを入団させ、日本一となる球団の土台を築いた。その足跡からは「中央権力何するものぞ」の気概が伝わる。

 ともに1シーズンで消えた国民リーグと西日本パイレーツ。前者は阿部さんの著書で読み継がれるだろうが、後者は人々の記憶から消えつつある。今年は誕生から70年の節目。見直しの機運につながればと、資料を集め始めたところだ。 (編集委員)

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