夕顔運動、続くリレー 「咲くまでに家に」小1へ種贈る 福岡市

西日本新聞 社会面

 夏の夕方、庭先にほんのり白く浮かぶ夕顔の花。小学校の新1年生に夕顔の種を贈り、「この花が咲くまでにお家に帰ろうね」と優しく促す「夕顔運動」が始まって37年目になる。福岡市の酒店が始めて九州中に広がり、最多時は32万人の子どもが種を受け取った。発案者の清原英毅さん(77)=福岡市南区=の活動の原点は、万葉歌人山上憶良が「子どもこそ宝」との思いを込めて詠んだ歌。大規模な活動は休止したが、令和の時代も地域の子らと種のリレーを続けている。

 清原さんが夕顔運動を始めたのは1983年。小学生になった娘が朝顔観察をするのを見て思いついた。「自分で育てた夕顔の花を見たくて、子どもが早く帰るのでは」と地元の小学1年生に配って回った。各家庭で取れた種の一部を返してもらい、翌年の1年生に配る。種のリレーは地域ぐるみで子どもを見守るきっかけにもなり、賛同の輪が広がった。

 個人のほか、企業や団体も種の袋詰めや配布を手伝うようになった。めんたいこ製造販売の「ふくや」は86年から加わり「種が取れたら、ふくやに持ってきてね」と呼びかけた。元満千鶴さん(46)は入社間もないころ、小学生の男の子が店に入ってきたのを覚えている。「種を3粒ぎゅっと握りしめていた。大事に育てたんでしょうね」。店頭で配られた種が海を渡り、ボリビアで花咲いたという便りも届いた。

 種をやりとりした人々との手紙や記事で活動をたどる展示を、ふくやが運営する「博多の食と文化の博物館 ハクハク」で見ることができる。

 平成に入って活動は九州全域に広がり、ハウステンボス(長崎県佐世保市)には大きな夕顔棚も作られた。袋詰めなどの作業も大規模化。だが急激な拡大に運営ボランティアが付いていけず、2013年、清原さんは活動休止を決めた。

 清原さんは現在、「夕顔憶良会」の名前で活動を続けており、今年4月にも地元3校の1年生約300人に種を贈った。名前の由来は山上憶良。

 「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも」

 子に勝る宝などあるだろうか‐。千年の時を超えた憶良の思いが、夕顔運動を続ける力となる。清原さんに種をもらったかつての1年生が父や母となり、その子たちの育てた種が清原さんに送られてくる。「種のリレーは人生最大の宝物です」

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