よみがえる朝鮮通信使 復元木造船 8月に対馬へ 日韓友好の海路を再現

西日本新聞

資料に基づき復元された朝鮮通信使の木造船 拡大

資料に基づき復元された朝鮮通信使の木造船

復元船の制作監督を務めた韓国国立海洋文化財研究所の洪敦在さん 船内は通信使の歴史を伝える博物館になっている

 江戸時代に朝鮮半島から海を渡り、日本に派遣された外交使節団「朝鮮通信使」。その木造船を復元した船で8月上旬、韓国釜山市から長崎県対馬市まで渡航する計画が進んでいる。日韓関係が悪化の一途をたどる中、渡航計画に携わる関係者は、友好をもたらした通信使の歴史を通じて民間交流を盛り上げようと意気込んでいる。
 (釜山・前田絵)

 夏を思わせる強い日差しとなった5月4日。釜山市の港から、復元船がゆっくりと離岸した。市民を対象にした初の体験クルーズ。乗船した子どもたちが見送りの人に手を振った。

 「この船がなければ通信使は日本に渡れなかった。乗客に喜んでもらえて、苦労したかいがあった」。韓国国立海洋文化財研究所の学芸研究官で、復元に携わった金炳ᏽ(キムビョングン)さん(55)が甲板で目を細めた。

 復元船が完成したのは昨年10月。研究所は日韓の関連資料を基に、3年半の歳月と約2億1千万円の費用をかけて忠実に再現した。韓国の伝統的な船を研究、顕彰するためだ。全長約35メートル、幅約9メートル。最大で72人が乗船できる。船室の外壁には、花や鳥をモチーフにした華やかな装飾をあしらった。

 当時は帆に風を受け、櫓(ろ)や櫂(かい)で操作したが、復元船にはエンジンを装備。船内には通信使の衣装や歴史を説明するパネルを展示した。体験クルーズではガイドによる解説もあり、参加者は先人たちの苦労に思いをはせた。家族と乗船した金璡浩(キムジンホ)さん(75)は「何百年も前に海を渡った通信使の船に乗れてうれしい。いまは大変だが、当時のように日韓両国の交流が深まれば」と笑顔を見せる。

 復元船の制作監督を務めた研究所の学芸研究士、洪敦在(ホンスンジェ)さん(47)も対馬への渡航を心待ちにしている1人だ。「設計図を24回も変更して再現性を高めた。当時は嵐で帆柱が折れることもあり、大変な航海。乗客がベンチのように座っている甲板の構造物も波を防ぐもの」と説明する。

 洪さんの先祖は、1719年と48年に日本に渡った通信使の一員だという。約300年前の先祖の旅を追体験する機会を得た洪さんは「どれほど美しい景色に出合えるのか。期待が膨らむ」と目を輝かせる。

 「通信使を通じた現在の民間交流が、韓日関係改善の鍵になるはずだ」と語るのは釜山文化財団の曺禎潤(チョジョンユン)さん(45)だ。「約200年前、通信使の最後の航海は対馬までだった。それを再現できるのは意義深い」。東京五輪が開かれる2020年には釜山から東京を目指す構想も描く。

 一方の対馬市側も、復元船を歓迎している。通信使の外交記録などをユネスコに韓国側と共同申請したNPO法人「朝鮮通信使縁地連絡協議会」(対馬市)の松原一征理事長(74)は「大勢の市民と一緒に盛大に出迎えたい」と話す。

 これまでも両国政府の関係変化は何度も経験した。「私たちが明るい雰囲気をつくり、交流を続けていれば、きっと日韓友好が浸透していくはず」と松原さん。復元船は8月3―4日に行われる「対馬厳原港まつり」に合わせて、対馬に入港する予定という。

    ×      ×
 【ワードBOX】朝鮮通信使
 朝鮮王朝が室町時代から江戸時代にかけて日本に派遣した外交使節団。豊臣秀吉による朝鮮出兵「文禄・慶長の役」で一時途絶えたが、江戸幕府の関係修復要請に応じる形で1607年に再開。将軍交代などに合わせ、1811年までに計12回派遣された。1回当たり500人規模で、漢城(現ソウル)-江戸間を海路と陸路で往来。同行した医師や儒学者、画家らが日本各地で交流を深め、文化的な影響も与えた。2017年10月、江戸時代の朝鮮通信使に関する外交記録など333点が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された。

PR

PR

注目のテーマ