「ムラおこし」経験伝えたい 火付け役の溝口さんが自伝 宇佐市

西日本新聞 大分・日田玖珠版

 1980年代、全国に広まった「ムラおこし運動」。その火付け役として運動をけん引した溝口栄治さん(76)=宇佐市南宇佐=が自伝「わたしの人生 ひょうたんや」(B6判、258ページ)を自主出版した。「ムラおこし」が「地域おこし」「まちおこし」へとフレーズが変わった平成を振り返り、溝口さんは「行政の援助を受けながら、金銭的な豊かさだけを求めるケースも多い。ムラおこしは地域貢献を通じた自己研さんだということを忘れないで」と訴える。

 溝口さんは宇佐市出身。宇佐高卒業後、岡山大に進学し、26歳で祖父の代から続くひょうたん店を継いだ。「学生運動に明け暮れたせいで社会に出るのがちょっと遅れた」。会社経営をはじめ、ヒョウタンの栽培方法も全く知らない中でのスタートだった。

 妻や生まれたばかりの双子の娘のために、経営を軌道に乗せようと必死に働いた溝口さん。製品の加工精度にこだわり、自らヒョウタンの栽培技術も開発。技術を農家に教え、当時は珍しい栽培契約も結んだ。奨励金を出すなどして産地づくりも推し進めた。

 転機は1979年1月、県内の若手経営者が由布市で開いた研修会だった。当時すでに農村の過疎化が社会問題化していた。市や町の行政単位を越え、行政や大企業に頼らず、住民自らの手で地域の活性化を図る取り組みを「村」ではなく「ムラおこし」と命名。「こんなに流布する言葉になるとは思わなかった」と笑う。溝口さんは立て続けにイベントを立案した。「ミニ独立国ブーム」の先駆けとなる「新邪馬台国」を建国したり、その国々を集めたサミット開催や、旧国鉄と組んだミステリー列車「卑弥呼号」を走らせたりした。

 時代の波にも乗った。当時の平松守彦知事が主導した「一村一品運動」と連動。疲弊した農村の活性化への秘策として「ムラおこし」が全国的に注目されるようになった。80年代前半、県内だけで600を超える「ムラおこし」団体が立ち上がり、84年3月には当時の中曽根康弘首相が来県。溝口さんをはじめ地域づくりのリーダー8人と車座になって意見交換する機会もあった。

 ただ、一村一品運動と並走するうちに運動のエネルギーは行政側に吸い込まれていったと振り返る。「豊の国と銘打った相次ぐ官製シンポやイベントを通じて行政に取り込まれ、頼るようになり、次第に熱気を失っていった」

 自伝は、周囲に自らの経験や思いを伝えたいと制作。生い立ちや経験を率直につづっている。現在はひょうたん店経営を長女(49)に任せている溝口さんは「ムラおこしは古くて新しい課題。われわれの試行錯誤が、地域を盛り上げようと汗を流す若い人たちの参考になればうれしい」と語った。

 本は一般販売はしておらず、希望者に有料で譲っている。溝口ひょうたん本舗=0978(37)0340。

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