連合と右派運動の「共闘」「民社党・同盟」どこへ向かうのか

西日本新聞

 参議院選挙が近づく中、連合の股裂き状態が解消されていない。もともと連合は民主党・民進党を支援してきたが、大きく立憲民主党と国民民主党に分かれたため、組織内候補も二分化されている。比例代表の統一名簿も提案されているが、立憲民主党は応じていない。このまま選挙に突入すると、政党支持率が低迷する国民民主党は苦戦することが予想される。当然、国民民主党から比例代表で立候補予定の5人の組織内候補は、全員の当選が難しくなる。

 連合は、もともと一枚岩ではない。社会党を支持してきた「総評」や民社党を支持してきた「同盟」などが統一して結成されたため、思想的な背景を異にする人たちが参集している。

 朝日新聞の言論サイト「論座」でスタートした藤生明の連載「日本会議と共闘する労働戦線は、どう作られてきたか」は、「民社党・同盟」勢力の現在を追うことで、今後の野党を展望する。

 連載第1回「生きていた民社党、保守運動をオルグする」(5月5日)の中で、藤生が注目するのは、現在、日本会議会長を務める田久保忠衛の存在である。田久保は「民主社会主義研究会議」(民社研)の中枢で活動した言論人で、民社党の綱領づくりにも参画した。民社研は1960年の民社党結成と同時に発足した組織で、民社党の政策を理論的に支えるシンクタンク的存在だった。

 日本会議のような右派運動が、「民社党・同盟」系の田久保に期待しているものは何か。藤生曰(いわ)く「民社協会の地方議員ネットワークやUAゼンセンのような活発な労働組合の存在は戦力として魅力的に映ったに違いない」。民社協会は、旧民社党系の国会議員・地方議員が構成するグループで、国会では国民民主党に属している。

 「民社党・同盟」の人脈は、現在でも様々な右派運動に関与している。「新しい歴史教科書をつくる会」、「文化の日」を「明治の日」に改める運動、そして拉致問題。かつては「元号法制化実現運動」にも参画し、大きな役割を果たした。

 立憲民主党と国民民主党の亀裂は、労働運動のイデオロギー的な再分化・先鋭化を加速させる可能性がある。これは野党共闘の大きなネックになるだろう。国民民主党は、草の根の右派運動と、どのような関係性を保つのか。両者の関係が深まれば深まるほど、リベラルな価値観を重視する立憲民主党との溝は深まり、自民党との思想的近さが鮮明になる。

 民社党・同盟の源流をたどると、鈴木文治らが大正期に創設した友愛会(1912年)、日本労働総同盟(1921年)に行きつく。東京・芝にある「友愛労働歴史館」では、連合に至る歴史が展示されており、現在は「民社党結党60年、勤労国民政党の旗を掲げて」という企画展が開催されている(6月28日まで)。

 重要な展示なので、見に行ってみた。当然、1960年に民社党を結成し、初代委員長に就任した西尾末広が大きく取り上げられている。

 西尾は1928年の第1回普通選挙で社会民衆党から立候補し、当選。1930年代には無産政党が結集した社会大衆党に所属し、中核を担った。社会大衆党のメンバーは、国粋主義的な国体論に接近し、全体主義的な労働者の解放を主張。西尾は社会主義の観点から国家総動員法案を支持し、近衛文麿首相に対して「もっと大胆率直に日本の進むべき道はこれであると、かのヒトラーの如(ごと)く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に進むべきであると思うのであります」と演説した。

 「一君万民」という国体論は、天皇の超越的権威のもと、万民は平等であるというイデオロギーである。西尾らにとって、この国体論は資本家から労働者を解放する根拠となった。

 このような社会大衆党の戦前・戦中の国体イデオロギーへの接近は、展示の中では強調されていない。しかし、「民社党・同盟」には、その皇国主義的ナショナリズムが連続的に受け継がれている側面がある。ここが藤生の指摘する「日本会議と共闘する労働戦線」につながる。

 現在の「民社党・同盟」は、どこへ向かおうとしているのか。今後の政局に関わる重要なポイントにほかならない。

(中島岳志 なかじま・たけし=東京工業大教授)

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