中津祇園、岸和田だんじり祭と“兄弟” 山車の構造酷似と研究家講演

西日本新聞 大分・日田玖珠版

 山車が豪快に街を駆け抜ける「岸和田だんじり祭」(大阪府岸和田市)と、狭い路地でも巧みに祇園車を引き回す中津祇園(県指定無形民俗文化財)は兄弟‐。山車の歴史を研究するしの笛奏者の森田玲さん(43)=京都市在住=が中津市で行った講演会で、そんな主張を展開した。森田さんは、いずれも大阪天満宮(大阪市)の天神祭がルーツと述べ「遠く離れた二つの城下町の祭りは、本家で廃れた山車の特徴をよく保存している」と力説した。

 森田さんは大阪府出身。幼い頃からだんじり祭に参加し、京都大卒業後は、しの笛奏者として活動する傍ら、山車の歴史などを研究している。

 5月25日にあった講演会「豊前中津 祇園車のルーツに迫る!」(西日本新聞社など後援)で、森田さんは「江戸時代、参勤交代する西国大名は川御座船で淀川を行き来し、船の豪華さを競った」と説明。それを見た大阪の人々が船をまねた山車を制作、天神祭で使ったのが始まりで、各地の祭りに広まったと解説した。

 天神祭の山車には(1)芸能を披露する舞台(2)巡行の速さを競う車両‐という両面の性格があったという。兵庫県や東海地方には芸能を披露する舞台性に特化した山車があり、速さを突き詰めたのが岸和田。関西では山車を地車(だんじり)と呼ぶようになったという。

 中津の祇園車について、京都の祇園祭で巡行する山鉾(やまほこ)とは「構造が全くの別物」と森田さん。一方で天神祭の山車とは、吹き流しや方向を制御するかじ棒、下部にある波の意匠など川船を基本とした意匠に共通点が多いと強調。これらのことから、大阪と瀬戸内海を通じて経済的につながっていた中津は天神祭の山車を祇園車として模倣するとともに、舞台と車両の両方の性格を持たせたとの見方を示した。

 最盛期の江戸後期、80基超が参加したという大阪天満宮の天神祭の山車は現在は1基を残すのみ。各地の山車も廃れていった。森田さんは「祭りには神事と娯楽という二面性がある。神事ばかりだと人気がなくなり、娯楽だけではイベントになってしまう。その両方をバランスし包含していくことが次代へと継承していく力になる」と締めくくった。

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