普賢岳噴火災害の教訓次代へ 太田元九大観測所長が回想録出版

西日本新聞 社会面

 長崎県雲仙・普賢岳の噴火の観測、行政への助言で中心的役割を果たした九州大島原地震火山観測所(現地震火山観測研究センター)元所長の太田一也九大名誉教授(84)が、火山活動の変化や防災の現場を克明に記録した「雲仙普賢岳噴火回想録」(長崎文献社)を出版した。過去の記録を礎として、自身が直面した平成噴火の知見を凝縮。43人が犠牲になった「6・3大火砕流」も検証した。「次世代の研究や防災に役立ててほしい」と願う。

 普賢岳は1663(寛文3)年に噴火し、1792(寛政4)年には「島原大変肥後迷惑」と呼ばれる災害で1万5千人が犠牲となった。噴火に伴う地震で同県島原市の眉山が崩壊、土砂が海に流れ込み津波を引き起こした。島原藩の古文書や絵図は火口の位置や噴火の様子を細かく記している。

 こうした過去の記録から次の噴火のイメージを脳裏に描き、研究を重ねた。平成噴火に直面した際にその蓄積が生かされ、島原半島西側の橘湾地下約15キロのマグマだまり、普賢岳頂上西側付近の地下約7キロに位置する第2マグマだまりの存在を突き止め、マグマ供給のメカニズム、火口に延びる火道の解明に至った。いずれも普賢岳では初の成果。「藩政時代の古文書に恩恵を得た」と感謝する。

 回想録の執筆は2011年に始めた。世界で初観測された溶岩ドームの形成過程など平成噴火で得た知見に加え、大火砕流で多くの犠牲者を出したことの検証を重視。再三の退去要請にもかかわらず、報道陣が避難勧告地域で取材を続けたため、警備せざるを得なかった地元消防団員らが巻き込まれた状況を「最大の死者発生の原因は、報道陣の歪(ゆが)んだ使命感で、迫力ある映像を他社と競う過熱取材にあったのでは」と書き留めた。

 東日本大震災以来、列島は地震や火山の活発期に入ったとされる。1998年に退官後も島原に暮らす「山のホームドクター」は、熊本地震などで揺れるたび、自宅から眉山を見上げては安全を確認する。

 「想定外のことはいつでも起こり得る。災害に対する危機意識がなければせっかくの知識も生かせない」。自身が古文書から学んだように、回想録が100年、200年後に役立つよう願っている。

 B5判、全435ページカラー。1万800円。噴火以前の群発地震、噴火や火砕流、土石流の発生、終息宣言、復興の動きや終息後の検証をまとめ、約470点の写真や図表を添えた。

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