【俵万智の一首一会】耳を傾けるべきは心を流れる音楽

西日本新聞 文化面

絵・北村直登

 なめらかな肌だったっけ若草の妻ときめてたかもしれぬ掌(て)は  佐佐木幸綱

 歌集『群黎』を読み返していて、この一首のところで手が止まった。ただ懐かしいだけではない。自分の歌の原点を見つけたような気がした。

 「だったっけ」という口語の会話体は、自分がトレードマークのように活用してきたもの。いっぽうで「若草の」(妻を導く枕詞(まくらことば))というような古風な言葉の響きも大事にしている。そして「妻ときめてた/かもしれぬ掌は」という下の句七七における句またがり。これは大好きなリズムで、『サラダ記念日』にも頻出する。「いつ言われても/いいさようなら」「長いと思って/いる誕生日」「何か違って/いる水曜日」「言ってくれるじゃ/ないのと思う」「二本で言って/しまっていいの」……などなど。

 「妻ときめてた/かもしれぬ掌は」は、「きめてた」で定型の区切りがくるので、一瞬、決めていたのかなと読者に思わせる。が、その直後に「かもしれぬ」が、たゆたいながら続くところが、まことに心憎い。リズムの揺らぎが、心の揺れと重なっている。妻と決めていたに違いないのだが、句またがりで「かもしれぬ」とかぶせるところに、なんともいえない含羞(がんしゅう)が表現されている。結句まで読めば「掌」の歌とわかるが、倒置によって「肌」が強調されているところも巧みだ。

絵・北村直登

 私が短歌を作り始めたのは、早稲田大学で佐佐木先生の講義に魅せられたのがきっかけだった。先生の歌集は繰り返し読んだし、暗唱している歌も多い。が、それにしても、こんなにも直接的に影響を受けていたとは。この一首と出会いなおしたような気がした。

 初めての歌集『サラダ記念日』が、思いがけずベストセラーになり、社会現象とまで言われた頃は、毎日が嵐だった。高校の教師をしながら、取材を受けたり、著者としての活動(サイン会や講演)をしたり。時間的にも肉体的にもギリギリの日々。そんななか、佐佐木先生と対談する機会があった。授業を終え、へろへろな感じで対談場所にたどり着き、たぶん対談中もへろへろだった私。別れぎわに先生が二つのことを言ってくださった。

 一つめは「いろんな依頼があって大変だろうけど、短歌作品の依頼だけは断るな」である。正直、ええーっと思った。歌集が売れてからというもの、やたらと作品の依頼が来るようになり、もう限界だと感じていた。こんな状態で短歌を詠んで質を落としたくない、数は絞っても水準を保ちたい……と考えていた。が、今思うとそれは「逃げ」だし、本末転倒だった。歌集が評判になった結果、歌を作る時間が減るなんて。こういう状況だからこそ、無理にでも作歌の時間を確保することが大事だったのだ。それは、勘を鈍らせるなということでもあっただろう。実際、先生の教えを守った私は、妖怪のようにどんどん歌を詠んでいった。

 もう一つは「君は、心の音楽を聴くことができる人だから、何があっても大丈夫」。ブームともなると、いろいろなことを言われる。

 妬(ねた)みや、見当違いからくる意地悪だとわかっていても、まあそれなりに心は折れるもの。時代の寵児(ちょうじ)みたいなかたから「安心して。すぐに時代遅れになれるから」と言われたこともあったっけ。

 時代がどうであれ、君は君の歌を紡いでいけばいいと、先生は言ってくださったのだと思う。耳を傾けるべきは外野ではなく、自分の心の中を流れる音楽なのだと。

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 宮崎市の歌人・俵万智さんが、心に残る一首と、出会った作者との思い出をつづります。挿絵は大分市の画家・北村直登さんが担当します。隔月掲載。

 ▼たわら・まち 1962年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒。87年刊行の第1歌集「サラダ記念日」がベストセラーに。2004年、「愛する源氏物語」で紫式部文学賞。06年、歌集「プーさんの鼻」で若山牧水賞。歌集は他に「かぜのてのひら」「チョコレート革命」など。近著に「牧水の恋」。宮崎市在住。

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