普賢岳は信仰の対象だった…

西日本新聞 オピニオン面

 普賢岳は信仰の対象だった。ふもとの長崎県島原地方で、特に年配の人々は親しみと敬いを込めて「お」や「さん」を付けて呼んでいた。「お山さん」「普賢さん」と

▼ミヤマキリシマに紅葉、霧氷と雲仙の山々は四季折々に美しく姿を変えた。温泉を含む豊かな自然は内外に通じる観光資源。肥えた大地は農作物の恵みをもたらした

▼生活を支えてくれた優しい山が、噴火後は一転して住民を苦しめる。火山灰や噴石が空から襲い、土石流が家や田畑を押しつぶす。そして1991年6月3日の大火砕流。地元の消防団員や警察官、報道関係者ら43人もの命を奪った

▼憎くてたまらない山。「それなのに心の中では無意識に『さん』と呼んでしまう」。以前、被災者の方から聞いた言葉が耳に残る。山とともに暮らしたからこそ交錯する愛憎なのだろう

▼30年近くの間に堆積した土砂で地域の姿は一変した。噴火前より最大で170メートルも地盤が高くなった場所があるそうだ。災害経験の継承も課題になる。一方で、砂防工事で出た巨石が農地の基盤整備に使われている。桃など新しい特産品に取り組む農家もある。火山と共生する町としての歩みが始まっている

▼今日、島原は祈りの日を迎える。犠牲者を悼むとともに、さらなる復興を誓う日でもある。あれほど苦しめられても呼び捨てにできなかった人たちへ、もっともっと罪滅ぼしを。「普賢さん」に願う。

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