【「ホモ・デウス」の警鐘】 平野 啓一郎さん

西日本新聞 オピニオン面

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)さん=作家 拡大

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)さん=作家

◆人類の生きていく道は

 イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』は、昨年、日本でも翻訳が刊行されて、しばらくどこの書店でも大量に平積みされていた。前作『サピエンス全史』は、全世界で1000万部以上も売れたらしいが、本作も大いに話題となっている。

 一昔前までは、こうした人類学的な本は、脱西洋中心主義的な文脈で読まれていたものだが、ハラリの本は、ホモ・サピエンス以前の動物の世界と、AIと生命科学によって“アップデート”された未来の世界とで、現在の「人間中心主義」を相対化するという野心的な内容である。

 GAFAと称される企業群が、グローバル化された世界で存在感を発揮している今日、「人類」史そのものに関心が向けられるというのは、ある意味、よくわかる話で、7万年前に人間がサルから進化してアフリカの地を旅立ち、世界中に散っていった壮大な歴史を俯瞰(ふかん)していると、ナショナリズムが従来、拠(よ)り所(どころ)としてきたどんな一国的な歴史も神話もちっぽけに見える。

 しかし、『ホモ・デウス』が、とりわけ衝撃を以(もっ)て読まれたのは、むしろ、第9章以降の未来予測のためだろう。ハラリは、生命科学によって一部の富裕な人間たちが超人的な能力を身につける「テクノ人間至上主義」と、AIの驚異的な情報処理能力が、人間を必要とせずに社会システムを維持する「データ至上主義」という二つのディストピア的なシナリオを提示する。

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 そうなると、どうなるのか? ハラリは、近代以降、我々(われわれ)の社会が至上の価値として信じてきた、自由と平等を維持するインセンティヴ(誘因)が失われるのではないかと懸念するのである。

 近代以降の社会は、機能的に分化しており、多様な産業が相互に有機的に連動して全体を構成し、日常生活を成り立たせてきた。その労働力の実体は、機械を使用する個々の人間である。私たちは学校を卒業するまでに、自分の個性が何に向いているのかを考えさせられ、就職を通じて、労働力として社会に供給される。職業選択の自由は、社会の需要に応じて高収入となる職種に、より多くの労働力を集めることを可能にする、というのが、現実はどうであれ、その理想的な姿だった。

 こうした社会では、国民が健康で、遺漏なく教育の機会に恵まれ、自由で平等であった方が安定する。

 しかし、仕事の多くがAIに取って代わられる時代はどうか? 大半の人間が労働力としての価値を失ってしまい、しかも社会システムが安定しているなら、その格差を是正しようという力が弱まっていくのではないか、というのが、ハラリのかなり真剣に懸念するところで、私はその内容に、嫌な説得力を感じた。

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 AIやロボットに奪われない仕事とは?というのは昨今の不穏な話題だが、誰でも考えることは人間にしか(当面)できない仕事か、AIやロボットで効率化するより人間を雇った方が安い仕事である。

 尤(もっと)も、やはり話題となった『ファクトフルネス』によると、世界は基本的に「良くなっている」というのがデータ上の事実であり、ハラリの予測も、「世界は分断されている」と誤解しがちな「分断本能」の産物だという批判もあるだろう。経済学者のアマルティア・センも、常々、グローバリズムが世界の生活水準の引き上げに寄与してきたことを説き、反動的なナショナリズムを諫(いさ)めている。

 悲観論と楽観論との狭間(はざま)で、どうすれば生きていけるのか?という問いは、社会保障制度の崩壊と併せて、この先、切実なものとなっていくだろう。

 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中の99年に「日蝕」で芥川賞。渡辺淳一文学賞受賞作「マチネの終わりに」は映画化され、今秋公開予定。「ある男」で読売文学賞。

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