水俣病「改称」なぜ今 チッソ子会社近く、有志が看板設置

西日本新聞 熊本版

 「メチル水銀中毒症へ 病名改正を求める!! 水俣市民の会」‐。水俣病の原因企業チッソの事業子会社JNC水俣製造所(水俣市)正門近くの私有地に、こんな看板が掲げられて2カ月が過ぎた。土地を所有する男性(72)が同志の十数人と会を結成し、通行者の目につくようにと3月、国道3号沿いにベニヤ板に書いて設置したという。「水俣病という名前のために市民は苦しめられてきた」と主張する男性。見るたびに私は複雑な気持ちになる。

 水俣病の病名変更を求める運動の歴史は古い。「新水俣市史」や水俣病資料館が保管する市の資料などによると、水俣病の名称が使われ始めるのは公式確認から2年後の1958年ごろ。それまでは「奇病」などと呼ばれていた。

 市議会では観光面での影響を懸念し、名称が議論になることも。その後、国がチッソを原因企業と断定した68年9月に、商工会議所会頭を会長とする市発展市民協議会が、当時の厚生省と報道機関に対し病名変更を求める決議をしている。

 厚生相の諮問機関は翌69年に(1)国内・国際的にも文献上も広く用いられている(2)公害的要素が含まれていてこのような疾病は世界のどこにもみられない‐などを理由に「水俣病」の名称を適当と判断した。

 ところが、70年代以降、裁判や自主交渉などの患者運動が拡大、さまざまな考えの市民組織が生まれるなか、病名変更を求める署名活動も展開される。

 当時、「市のイメージだけでなく、市民に対する差別問題にまで発展している」として市報で署名への協力を呼び掛け、市長も「良識ある市民運動」と活動を後押し。結果的に、市内有権者約2万5千人のうち72・2%が署名に応じた。

 水俣病研究の第一人者、故原田正純医師は後に、こう指摘している。「他に類を見ないから水俣病は水俣病でなくてはならなかった」「差別と偏見は確かにある。多くの若者たちが都会で自分の出生地を胸を張っていえないのは不幸である。しかし、それは病名を変えればいいというものではないはずだ」‐。

 病名変更に対し、患者・被害者、支援者の間には今でも抵抗感が強い。理由の一つは、運動をけん引してきたのがチッソ擁護の立場を鮮明にした人たちだったからだろう。彼らに対し「街が発展しないのは患者のせいなのか」と反論し続けてきた記憶も鮮明だ。

 不条理に肉親を奪われ、自らも深刻な健康被害を受けてなお、地域で冷ややかな扱いを受けてきた人たちにとっての「水俣病」。風評被害を理由に声を上げる人たちとは、思いの深さ、強さが違いすぎる。

 看板を設置した男性は取材に、「外部からの要請は一切ない」と否定した上で、「平成のうちに、市民が声を上げるべきだと考えた」と強調した。「チッソが原因企業なのは誰もが知っている。『メチル水銀中毒症』とすることはむしろ、チッソ側にとって面白くないのでは」とも語った。

 「水俣で育つ次世代を苦しめないためにも今こそ議論が必要」として、男性らのグループは今後、市議を対象にアンケートを再実施したり、市民が受けた風評被害の可視化、数値化に取り組んだりするという。

 西日本新聞が2006年に無作為抽出の市民2千人を対象に実施したアンケート(回答率43%)では、病名変更に賛成が47・3%、反対が27・1%だった。一方、熊本学園大水俣学研究センターなどが16年に患者・被害者2619人から回答を得た調査では、名称について「このままでよい」60・9%、「変えたほうがよい」11・2%だった。

 長年、患者や被害者の支援運動に取り組んできた高倉史朗さん(67)は「仮に病名を議論するなら、『カネミ油症』のように、なぜ当初から原因企業の名前が使われなかったのかを含めて、歴史を正確に理解する必要がある」と指摘する。

 水俣病はなぜ、発生し、拡大し、今なお解決しないのか。被害とは、教訓とは何なのか。まずは市を挙げて考え、共通認識を持つことが、病名の「改正」を議論する上で必要だと思う。

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