「島原6・3」語り継ぐ学芸員 大火砕流から28年 研究から行動へ

西日本新聞 社会面

 消防団員や警察官、報道関係者ら死者・行方不明者43人を出した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流(1991年)から3日、28年を迎えた。被災地の同県島原市では鎮魂を願う行事が営まれ、夜は雲仙岳災害記念館前に千本のキャンドルをともす「いのりの灯(ともしび)」があった。その準備や運営を手掛けたのが、昨年7月採用の学芸員東山陽次さん(30)だ。それまで研究一筋だったが、伝承のためのキャンドル作りに携わり、住民の体験に耳を傾ける中、心を揺さぶられ、芽生えた思いがある。「新しい語り部を掘り起こしたい。自分も含め、被災体験を受け継ぎたい」

 和歌山県出身。山口大と熊本大大学院で火山岩岩石学や火山化学を専攻し、化学的なアプローチで、普賢岳のマグマの組成、火砕流発生の仕組みを学んだ。ただそれは、「ここで何が起きたのか、知識として知っているだけだった」。

 災害の教訓を伝える記念館に嘱託で昨夏採用され、「いのりの灯」の担当になった。2007年から続くこの行事では、記念館の語り部ボランティアの被災体験を聞いた小中学生が、手作りのキャンドルに鎮魂の思いや復興への希望をクレヨンで書き込み、この夜にともす。活動の一環で島原半島3市の20小中学校を訪ね、語り部の思いを児童や生徒と一緒に聞いた。

 元看護師の女性(78)は火砕流で熱傷を負った人が「水、水」と声を振り絞り、声すら出せない人は宙に指で「水」となぞって渇きを訴える病室の惨状を語った。自身も土石流に家を奪われた被災者だ。

 元保育士の女性(72)は、避難を促すため保育園に駆け付けてくれた教え子の消防団員や、団員だった義弟を火砕流で失った悲しみを抱えながら生きている。教え子の消防団員6人を亡くした元高校教師の男性(81)は「社会に役立つ大人になるよう背中を押したことに今も自責の念がある」と語った。

 生々しい体験、割り切れなさが残る複雑な感情に触れ、東山さんにも変化があった。「日々の暮らしがそこにあったことが伝わり、人ごとではなくなった」。無機質だった知識に、人々のそれまでの生活や当時の惨状が幾重にも重ねられ、血の通った学問になった。

 いのりの灯に続き、今月下旬に始まる記念館主催の新企画、小中学生を将来の防災の担い手に育てる講座を担当する。語り部の高齢化、いまだ心を閉ざしたままの被災者の存在など課題はある。まずは、自分が率先して継承に手を挙げるつもりだ。

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