大宰府研究の危機? 古賀 英毅

西日本新聞 オピニオン面

 昨年は発掘開始50年、今年は新元号「令和」由来の場所となり、2年後は史跡指定100年の節目-。「古都・大宰府」を巡る話題が尽きない。ところが、大宰府に関わる研究者はブームとは無縁。むしろ減る傾向にあるのだ。

 大宰府研究のキーパーソンと言えば、小田富士雄・福岡大名誉教授だ。半世紀にわたり調査研究に関わった。「いつまでも私じゃないんだけど、次がいない」。昨年の取材時に、そんな悩みを聞いた。

 大宰府政庁に関する研究は平安時代前半までを対象とする古代史の分野に属する。解明の手法には、発掘で得た遺物や遺跡から探る考古学と、残された文献や文字記録から考察する歴史学がある。文字記録が増える7世紀以降の研究は、考古学者でも文献資料を読まなければならない。当然、倍の手間がかかる。

 発掘調査の最前線に立つ行政の学芸員は、担当した遺跡の内容次第で文献資料とも向き合う。だが、大学の研究者はどうか。九州大に考古学研究室ができる前から国史(日本史)学研究室に籍を置き、文献の勉強もした小田氏は別格として、7世紀以降の時代に取り組む考古学の教授や准教授は極端に少ないようだ。

 一方、歴史学の専門家は、さすがに太宰府市や九州歴史資料館には在籍するが、福岡県内の大学では四半世紀前に6人いた古代史専攻の常勤教員は現在2人。うち1人は定年まで2年を切った。九州全体も似た状況で、このままなら国立大学の古代史の専任教授は2年後にはゼロになる。

 文献資料が限られているため、古代史の世界は、もともと“新規参入”が難しい。新史料として期待される木簡も最近は出土数が少なく、木簡を専門とする学会メンバーの平均年齢は60歳代という。

 九州大の坂上康俊教授(日本史学)によれば「考古学的なデータや土地勘を巡る有利不利はあるとしても、古代史の研究者は全国を相手にできる。地域ごとに密着した人材の必要性は、近世史の分野ほどではない」。そのためか、大学経営の効率化で歴史分野からまず削られるのは古代史の教員。坂上氏は「古代史の手法は引き継がないといけないのだけど」と危ぶむが、研究者を目指す古代史専攻の大学院生は九州大にはいない。

 大宰府研究は道半ばだ。令和の由来、大伴旅人の屋敷があった場所は確定していない。7世紀の「政庁1期」も未解明な部分が多い。これらの課題に向き合う人材は、できれば大宰府を肌で感じられる場所で育ってほしい。だが、その環境が整っているとは言い難い。 (文化部次長)

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