貝島太助の伝記復刻 郷土史家の福田さん 1910年刊行の3巻

西日本新聞 筑豊版

 宮若市宮田の郷土史研究家、福田康生さん(70)が、安川、麻生と並び「筑豊御三家」と呼ばれた貝島炭砿の創業者、貝島太助(1845~1916)の伝記本を復刻した。1869(明治2)年に政府が「鉱山解放令」を出し本格的な石炭採掘が始まった筑豊炭田にとって、今年は150年の節目でもある。福田さんは「筑豊の炭鉱は負のイメージを持たれがちだが、働いていた人たちは明るかった。太助の人となりや思想も分かる伝記本を通して(貝島のことを)もっと知ってほしい」と話している。

 貝島炭砿は1885年、太助が大之浦(現宮若市)で開坑したのが始まり。1976年の閉山までに貝島の出炭量は約1億トンに達し、全国の出炭量の4%近くを占める規模だった。石炭企業として事業を拡大する一方、私財を投じて私立小学校5校を設立し、病院などもつくった。

 福田さんの亡父・光雄さんは貝島炭砿で38年間、採炭に従事した。復刻した伝記本「貝島太助傳」(辰巳豊吉著・1910年)は全3巻からなる。貝島家から資料提供を受けた辰巳氏が太助の功績の顕彰を目的に執筆した「当時の一番正確で詳しい伝記」(福田さん)。しかし、貝島所有の炭坑でガス爆発が起きた時期と重なり、多数の死者が出たため、一族関係者だけに配られたという。

 天之巻は、太助が誕生して8歳から炭坑で働き始め、資金不足などの失敗を繰り返しながら成長する過程を描いている。地之巻では大之浦で開坑して事業規模の拡大を図り、人之巻では太助の人となりや考え方、社会貢献や政治活動などが記されている。

 江戸時代まで筑豊の炭田は藩が管理していたが、明治に入った1869年に政府が鉱山解放の“規制緩和”を実施。筑豊炭田の調査・開発が民間で進んだことで貝島、安川、麻生の御三家が誕生し、三井や三菱、住友などの財閥も進出して生産が伸びた。

 「筑豊炭田遺跡群」(田川、飯塚、直方3市)は昨年、国指定史跡になった。貝島は炭鉱跡が残っておらず、関連施設も少ない。歴史の風化を懸念する福田さんは「貝島には子どものころのノスタルジー(郷愁)がある。今ではなくなってしまったから何とか記憶を残したい」と話す。

 貝島太助傳はA5判で1冊2千円(消費税込み)。福田さんは、今回の伝記本を含めこれまでに45冊を自費出版しており、一部は筑豊地区の書店でも販売している。

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