内ゲバが招いた自滅 元職業革命家・大藪龍介さん ワタシペディア「私」辞典~全共闘ダイアリー (3)

西日本新聞 社会面

 あのとき襲撃されていたら、今の自分は存在していなかったかもしれない。

 かつて革マル派の活動家だった大藪龍介さん(80)は50年近く前、内ゲバの標的になった。「しばらくどこかに身を隠した方がいい」。仲間に忠告され、自宅に帰らずホテルを転々とした。当時、大藪さんは既に所属するセクト(党派)を離れ、「革命」を目指す実践運動からも遠ざかっていたが、対立セクトにその現状は伝わっていない。結局、対立セクトのメンバーを知る先輩が間に入り説得した、という話もあった。大藪さんは襲撃を免れた。

 だが、免れられなかった仲間もいた。早朝にマスク姿の男にアパートへ踏み込まれ、鉄パイプで頭を殴られ重傷を負った者、通勤中にバス停で襲われ命を落とした者もいた。

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 九州大の学生自治会で日米安保闘争に加わり、社会運動に目覚めた大藪さん。卒業後は就職せず、既存政党と一線を画す革命政党をつくろうと夢見た。「職業革命家」を名乗り、企業へのオルグやビラ配りで仲間の勧誘を続けた。活動は交通費も手当ても出ず、収入はゼロ。生活は県庁職員となった妻が支えた。

 「新しい社会をつくるんだと、闘志があって燃えていた。暮らしに余裕がなくても苦しくなかった」

 30代になるころ、セクト間の内ゲバが頻発した。思想の違いや主導権争いを理由に、過激な暴力を正当化し、繰り返されるテロやリンチ。自らが追い求める革命像と懸け離れ、セクトを辞めるきっかけとなった。

 その後、理論研究による「革命」を目指そうと思い直した。大学院生を経て、45歳で富山大助教授に。17年前に引退し、現在は福岡市の自宅で論文執筆を続ける。マルクス主義を題材にこれまで計15冊を著した。

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 振り返れば、1960年代後半の大学紛争などで社会に根付きかけた新左翼運動は、内ゲバが過激化していった結果、世間に見放されたと、大藪さんは思う。

 《相手を反革命と断罪することで、罪悪感や思い悩みに妨げられず、相手党派のメンバーの破滅が革命につながると倒錯する》

 「内ゲバ殺人の狂態をめぐって」と題した論文で、こう考察した。

 今、世にまん延する排外主義。「ネトウヨ」(ネット右翼)と呼ばれる人々は、思想や歴史観の異なる相手にヘイトスピーチ(憎悪表現)を浴びせる。軽々しく他国への「戦争」を口にする国会議員まで現れた。

 「あれが行動に出ると怖い。自分たちの考えを絶対的に正しいと信じ、批判を排除する。その姿勢が内ゲバのような不毛な争いにつながっていく」

 福岡タワーや博多湾を見渡せるタワーマンションの1室。大藪さんの書斎の壁を、1000冊を超える専門書が埋め尽くす。

 「今は資本主義社会は安定しており、現実的には革命は起きない」と理解しながらも、先の世代に向けて研究を続けている。

▽暴力連鎖 死者100人超

 学生運動では、闘争路線を過激化させた党派組織の学生が警察権力に対抗するため、角材を武器として使うなどの暴力的手段を行使した。1970年ごろから党派内部の闘争や分裂が活発になり、同一党派の争いでも暴力を用いる「内部ゲバルト」(内ゲバ)が頻発した。ドイツ語で暴力を意味する「ゲバルト」に由来する。棒状の武器は「ゲバ棒」、ビラや立て看板に使われた独特の文字は「ゲバ字」と呼ばれた。内ゲバはエスカレートし、組織ぐるみの殺し合いに発展。死者数は計100人を超えるとされる。

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