頼山陽の「耶馬渓図巻」紹介 入渓200年記念 市民団体が冊子発行

西日本新聞 大分・日田玖珠版

 中津市の全国的景勝地・耶馬渓を命名した江戸期の文人、頼山陽(1780~1832)の入渓200年を記念した冊子「頼山陽と耶馬渓」(A4判、92ページ)が完成した。頼山陽が、漢詩や絵画で耶馬渓を紹介した「耶馬渓図巻」全2種類をカラー写真で掲載したほか、漢詩には読み下し文と口語訳も併記。広島県の頼山陽史跡資料館は「2種類の耶馬渓図巻を総覧できる本は今までなかった。冊子はA4判と大きく、細部も分かるので図録としての価値も高い」と評価する。

 製作したのは、市民団体「頼山陽 耶馬渓入渓二百年記念祭実行委員会」と「燦々(さんさん)プロジェクト」。2団体は昨年11月、頼山陽の耶馬渓来訪200年を記念するフォーラムなどを開催。活動の締めくくりとして記念誌を製作した。

 頼山陽は広島藩の儒学者の家に生まれ、32歳で京都に私塾を開き、日本初のベストセラーとされる歴史書「日本外史」を記した。1818年、九州旅行の際に「山国谷」と呼ばれていた同市耶馬渓地区の山水画のような美しさに驚き、その衝撃から「耶馬渓」という美称を与えた。「耶馬渓山 天下無(耶馬の渓山 天下に無し)」と激賞、6尺(約180センチ)の南画と1244字の漢詩で表現した「耶馬渓図巻」に結実させた。この図巻により耶馬渓は全国の文人あこがれの地へ変貌し、各地に耶馬渓という名を冠した景勝地が生まれるきっかけともなった。

 図巻は2種類ある。中津市永添の正行寺住職だった雲華(うんげ)上人(1773~1850)のために頼山陽が1819年に製作した通称「雲華本」と、29年に広島・尾道の豪商橋本竹下(ちっか)に請われて再度製作した同「竹下本」。現在、雲華本は所在不明となっている。

 不明の「雲華本」については今回、メンバーの1人で近砂敦さん(65)=中津市=が、1932年に現物をカラー写真で撮影し印刷された巻物を昨年入手し、デジタル画像処理した。また両方で2千字を超える漢字の解読作業は長野淳雄さん(77)=同市山国町=が担当。漢詩の読み下し文と口語訳は、同資料館の花本哲志主任学芸員に執筆を依頼し、京都教育大の谷口匡教授(漢文学)が監修した。花本学芸員は「竹下本では省略された表現があったり、描かれた人物が違ったりするなど両方の違いを比較できるのは魅力」と語る。1部2千円で販売している。同会=0979(54)2620。

   ◇    ◇

 4日、2団体は市役所に奥塚正典市長を訪ね、記念誌の完成を報告した。実行委員会の宮瀬正明会長(72)は「活動を継続し、九州各地の頼山陽顕彰団体とのつながりを深めたい」と抱負を語り、奥塚市長は「市も耶馬渓のブランド力向上に努めたい」と応じた。

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