笑顔と闘志を忘れない 田代芳樹

西日本新聞 オピニオン面

 「弱気は最大の敵」-。そんな座右の銘を残し26年前、32歳の若さで逝った野球人がいた。広島東洋カープで投手として活躍した津田恒美さんだ。「ノミの心臓」と言われた精神面の弱さを努力で克服し、気迫あふれる投球で「炎のストッパー」と呼ばれた。

 その足跡を顕彰する記念館が先月30日、広島市にオープンした。JR広島駅からマツダスタジアムへ向かう通称「カープロード」沿いにある。

 一人息子の大毅さんが自転車で全国を回り、インターネット上で資金を集め、構想から約3年で実現した。

 現役時代のグラブやユニホーム、トロフィー、写真などをはじめ、「弱気は最大の敵」と記されたボールも飾られている。大毅さんは「父のことを思い出したり、知っていただくきっかけになれば」と語っている。

 津田さんは山口県立南陽工高時代の1978年、春と夏の甲子園に出場した。社会人を経てカープへ入団し82年、新人王に輝く。肩の故障などで低迷するが、86年に抑えに転向してリーグ制覇に貢献しカムバック賞。89年は最優秀救援投手に選ばれた。

 今も語り継がれるのが、86年、巨人の原辰徳選手(現監督)との対戦。九回裏2死、津田さんの直球をフルスイングした原選手。ファウルとなった瞬間、左手の骨が砕けた。

 それほど威力のある速球を投げていた津田さんを悲劇が襲う。91年、開幕直後の巨人戦で1点リードの八回、打席にはくしくも原選手。同点打を浴び、降板した。ベンチ裏で「もう投げる自信がなくなった」と声を上げて泣いた。

 試合翌日、広島市の病院で精密検査を受けて脳腫瘍(しゅよう)と分かった。再びマウンドに立とうと懸命に病と闘ったが、93年7月20日、入院先の福岡市の病院で帰らぬ人となった。

 療養中の津田さんを、病院近くの天神地下街で見かけた記憶がある。幼い大毅さんの手を引き、家族と一緒だった。痩せ細った痛々しい姿。ファンの一人として「病に負けるな」と心の中でつぶやき、見つめるしかなかった。

 それから程なくして訃報に接した。涙が止まらなかったことを思い出す。

 「直球勝負 笑顔と闘志を忘れないために。」

 マツダスタジアム、一塁側ブルペン前の通路には、そう書かれた銅板「津田プレート」が掲げられている。

 現在、津田さんの現役時代の背番号14を背負うのは、エースに成長した長崎県大村市出身の大瀬良大地投手だ。笑顔と闘志は、確かに現役選手に受け継がれている。

 (デジタル編集チーム)

PR

最新記事

PR

注目のテーマ