私はコメンテーター失格

西日本新聞 オピニオン面

 川崎市の児童殺傷事件を受けて、テレビのワイドショーなどでタレントやコメンテーターたちが発した言葉が物議を醸している。

 フジテレビの番組ではお笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志氏が事件に関し「人間が生まれてくる中でどうしても不良品というのは何万個に1個、絶対にこれはしょうがないと思う。(中略)こういう人たちはいますから、絶対数。その人たち同士でやりあってほしい」などと発言した。

 この発言が「異常な妄想に取りつかれて暴力的な行動に走る人間を完全にゼロにするのは難しい」という趣旨なら、私も同意する。しかし、そのような異常性や暴力性が先天的であるとの思想は危険であるし、人間を不良品に例える考え方には全く共感できない。

 さらにこの発言は、よく考えれば意味不明だ。「その人たち同士でやりあってほしい」と言うが、松本氏はいったいどうやって「その人たち」を集め「やりあわせる」つもりなのか。
 要するに、この発言に現実的な提案はなく、事件に対してやり場のない怒りを抱く人々の「鬱憤(うっぷん)晴らし」を代行したにすぎない。タブーに挑戦する大胆さを装いつつ、実は世間に媚(こ)びただけの発言だと感じる。

   ◇    ◇

 ただ、私がここで問題にしたいのは、松本氏個人ではなく、テレビ局の姿勢の方だ。いつまでこんな発言を流し続けるのか。

 こういう大きな事件が起きたとき、本当に必要なのは「知識と経験に裏打ちされた専門家の意見」なのである。タレントがその場で思いついた発言に、何らかの価値があるのだろうか。

 別の番組では、コメンテーターの落語家が、川崎の事件で自殺した容疑者について「死にたいなら1人で死んでくれ」と発言した。実は、私もこれには一瞬、うなずきそうになった。

 しかしこの発言に対し、生活困窮者の支援活動に関わる専門家が直ちに「こうした発言は、孤立した状態にある人に『社会は自分を責め続けるだけだ』と思い込ませる。次の凶行を阻止するためにも『1人で死ぬべきだ』の言説を流布すべきではない」と指摘した。

 この専門家の意見は、きれい事でも容疑者擁護でもなく、社会的に追い込まれた人間が凶行に走る心理を直視した上で導き出した、一種の再発防止策である。被害者遺族に寄り添う感情とも矛盾しない。私もなるほどと納得した。

 繰り返すが、役に立つのは素人の感情論ではなく、専門家の識見なのだ。

   ◇    ◇

 もし私がテレビのコメンテーターに起用されたら、恐らく次のような言葉を連発するだろう。

 「専門分野なら分かるんですが、それはちょっと私の専門外なので…」

 「あのー、一晩考えて明日コメントするっていうのじゃダメですか」

 「私より、もっと詳しい人に聞いた方がいいような気がするんですが…」

 「無能」の烙印(らくいん)を押されるのは間違いない。テレビ局は二度と私を呼ばないだろう。しかし、万能の天才でもない普通の人間が誠実に答えようとすれば、こうなるのがむしろ自然だ。

 テレビ局の皆さん、タレントのコメントなんて本当に要るんですか。ちょっと手間をかけて、専門家を探しましょうよ。

 (特別論説委員)

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