二つの祖国の懸け橋に 陶祖の伝統守る 沈寿官さん死去

西日本新聞 社会面

 【評伝】有田、高取、上野、萩、八代‐九州・山口の主だった焼き物産地の「陶祖」はおおむね豊臣秀吉が起こした文禄・慶長の役(1592~98年)で朝鮮半島から連れてこられた。その中で400年以上たった今も頑(かたく)なに祖先の姓名を名乗り続けているのが薩摩焼を代表する沈寿官さんだ。

 十四代の先祖は現在の韓国の南原市で島津勢の捕虜になり、日本へ。鹿児島県西部の苗代川(現在の美山)に窯を築き、先祖の伝統と文化を守りながら、薩摩焼の名を高めてきた。

 強くルーツにこだわるゆえ、戦時中は理不尽な目にもあっている。司馬遼太郎氏の「故郷忘じがたく候」には少年時代の十四代が学校で「朝鮮人の血」を理由に暴力を受け、先代に慰められる場面も出てくる。本人にとって日本と韓国という二つの祖国を強く意識するきっかけになったという。

 陶芸家として名を成してからは、日韓の懸け橋はライフワークに。韓国名誉総領事を務め、歴代の韓国大統領とも面会を繰り返した。「故郷‐」には朴正熙(パク・チョンヒ)政権時代にソウル大で講演したときの様子が出てくる。「あなた方が(日本支配の)36年を言うなら、私は370年を言わねばならない」と、日本に薩摩焼を定着させた先祖の苦難の歴史を引き合いに出しながら、日韓友好の大切さを訴えた。

 日韓関係の悪化で1990年を最後に途絶えていた日韓の閣僚懇談会が98年に鹿児島市で開かれた陰にも十四代の尽力があった。この年は薩摩焼発祥400年で、南原市で採火した火を運んで美山の登り窯に点火する400年祭を行った。

 薩摩焼を代表する名品に「火ばかり茶碗」というのがある。故国から持参した土と釉(うわぐすり)を使い「火だけは日本のもの」という意味。記念祭を前に本人に「陶祖が携えることのできなかった火のみを故国に求めたわけですね」と尋ねると、満面の笑みで「そう、『逆火ばかり茶碗』です」と答えていたのが印象的だった。 (文化部長・北里晋)

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