【きょうのテーマ】金子みすゞの古里を訪ねる 山口県長門市仙崎 おだやかな海辺の町で育てた詩心

西日本新聞 こども面

みすゞの写真の前でインタビューにこたえる学芸員の宇野さん(おくの左)と盛澤さん(同右) 拡大

みすゞの写真の前でインタビューにこたえる学芸員の宇野さん(おくの左)と盛澤さん(同右)

みすゞの詩「大漁」のモザイク画。自分が海の中の魚になった気分が味わえる 再現されたみすゞの机の前に座ってみた みすゞが詩を書き残した手帳3冊も見た 手のひらを差し出すと、みすゞの詩が光で映し出された

 子どもに語りかけるように優しくてリズム感のある詩のことを「童謡」と言います。小学生の教科書にも作品がのっている童謡詩人、金子みすゞ(1903~1930年)を知っていますか? こども記者が、みすゞの古里、山口県長門市仙崎を訪ね、金子みすゞ記念館などを取材しました。

【紙面PDF】きょうのテーマ=金子みすゞの古里を訪ねる

 仙崎はおだやかな海辺の町で、記念館は本屋を営んでいたみすゞの実家を復元したものだった。本だなには昔の本が並び、2階にはみすゞの小さな机が再現されていた。その前に正座すると、私たちにもすてきな詩が作れそうな気がした。

 みすゞの代表作の一つ「わたしと小鳥とすずと」には、こんな言葉がある。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。


 私たちは「ああ、確かにそうだ」と思う。

    ☆  ☆

 記念館の学芸員の宇野智香さん(24)と盛澤香乃さん(23)によると、みすゞはおとなしくてニコニコしていて、女学校の同級生から好かれていた。他の人が当たり前だと思うことを不思議がる「不思議がりな性格」だったそうだ。

 26歳で亡くなるまでに残した詩は512編。全てを直筆で書き込んだ手帳3冊が館内に展示されていた。

    ☆  ☆

 みすゞの詩「大漁」は、浜辺の人々のにぎわいを見つめながら、海の中の魚たちの悲しみにも思いを寄せている。

はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。


 盛澤さんは「仙崎では魚がたくさん取れていたので、命をいただいているという思いがあったのでは」と言い、宇野さんは「幼少期にお父さんを亡くしたから命の大切さを感じていたのでしょう」と話した。

    ☆  ☆

 みすゞはなぜ詩人になったのだろう。私たちが質問すると、宇野さんは「詩人になりたくてなったのではなく、思ったことを素直に書いて雑誌などに投稿し、認められ、有名になったという感じです」と言った。

 みすゞは本屋の店番をしながら毎日、読書をしていて、お客さんにも「一緒に本を読みましょう」と言うような人だったという。詩にたくさん出てくる言葉は「魚」「鯨」など海にかかわるもの、「お月さま」「かあさま(お母さん)」「すずめ」などだそうだ。

    ☆  ☆

 記念館には、みすゞの詩が手のひらに光で映し出されるコーナーもあり、宇野さんと盛澤さんは「重くないおみやげです」とほほ笑んだ。いすに座ると、背後から詩の朗読が聞こえる仕組みもあった。

 記念館の前の道は「みすゞ通り」と名付けられ、昔ながらのたばこ店やかまぼこ店などが並んでいた。

 少し歩いて、倉庫のような建物に入り、スイッチを入れると、壁などにイワシの大群が光って浮かび上がった。かまぼこ板2万枚を使い、「大漁」の世界を表現したモザイク画だ。すごく神秘的で、私たちも海の中にいるような気がした。

(文中の詩は「金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと」=JULA出版局)

 ●わキャッタ!メモ
 ▼金子みすゞ 本名テル。大正時代にすぐれた作品を発表したが、26歳の若さで亡くなり、長い間、忘れ去られていた。童謡詩人の矢崎節夫さんが、みすゞの弟の手元にあった手帳を見つけて1984年に全集が出版され、広く知られるようになった。1996年からは「わたしと小鳥とすずと」が小学校の国語の教科書に採用され、2011年の東日本大震災の直後には「こだまでしょうか」がACジャパンの公共CMで流されて話題になった。

 金子みすゞ記念館の入館料は一般350円、小中高校生150円。電話=0837(26)5155。

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